旅の意味
「そうだ 京都、行こう。」というJRのコマーシャルに、旅情を掻き立てられることがある。
忙しい時ほど一人旅に出たいなぁ、と思う。なぜだろうか? 現状逃避の要素もある程度あるかもしれない。だが、もっと積極的な意味があるような気がする。
「旅」とは非日常であり、全く違った環境で、孤独なチャレンジがあり、不便や過酷な体験の結果、何かを経験して帰ってくる行為の総称を指している。
必ずしも旅行そのものを指しているわけではない。例えば、特命プロジェクトで、3カ月間、普段とは全く違った環境下で何かを達成して帰ってくるのも、幼い子どもの初めてのおつかいも、「小さな旅」と言える。
「可愛い子には旅をさせよ」とはこのような意味を含んでいる。できれば生活環境から仕事環境まで一変するような旅であれば望ましい。気力、体力、技力や胆力が試されることになる。そのためには老けこんでしまわずに、元気でいる必要があるからだ。
わざわざ子どもを離島へ行かせる理由
近年、教育熱心な親の間で、「お子様向け離島合宿」が人気だそうだ。離島で子どもたちにできるだけ自給自足に近い生活をさせる。
自分で採った魚をさばいて料理する、畑から収穫しばかりの野菜をかじってみる。地方の伝統産業を手伝い、素材から製品に至るプロセスを体験させる。森で野草を採り、食べられるかどうかを判断する。危険な昆虫を識別する。川で魚を捕まえる。海の岩場で岩海苔を収穫する。
何よりも自立して生きることを体得させた上で、その後にお年寄りの介護などを手伝うなどの奉仕活動をさせるという。中には熱を出し寝込んでしまう児童もいるようだが、総じて生き生きして、少し大人びて帰って来るという。
それはそうだと思う。なぜならそれらはすべて仮想ではない現実の中での学びであり、具体的な自立の方法を学び、人に役立つ経験を通じて自信を育むことになるからだ。