本流トヨタ方式の土台にある哲学」について、「(その1)人間性尊重」「(その2)諸行無常」「(その3)共存共栄」「(その4)現地現物」という4項目に分けて説明しています。

 企業を取り巻く利害関係者との関係を表す「(その3)共存共栄」は「本流トヨタ方式」の根幹を成す考え方であり、行動規範でもあるので、詳しく説明しています。

 前回まで、「共存共栄」を語りながらトヨタ自動車の歴史に触れてきました。1980年、いよいよ海外での生産に打って出るに当たり、トヨタ自動車工業の豊田英二社長の目には、分離してから30年経つトヨタ自工とトヨタ自動車販売との企業文化、路線の違いが看過できないモノになっていたと思われます。そこで自工と自販との合併を決意した、というところまでお話ししました。

章一郎氏が突然、自販の社長に就任

 81年、誰からも次期の自工社長だろう思われていた豊田章一郎・自工副社長が、トヨタ自販の社長に就任しました。自工の副社長が突然、自販の社長になったことに世間は驚きました。

 工販が分離してから30年経ち、両社の間がギクシャクしていました。連携を改めて強化するための方策でした。

 英二氏と章一郎氏は叔父と甥の関係に当たります。年齢は10歳違いで、共に石田退三氏からトヨタの経営術をしっかり叩きこまれた兄弟弟子でもあります。両氏が自工・自販のトップとなることで阿吽の呼吸で両社を引っ張っていき、絆を強くするのだろうと誰もが考えていました。

 ところが、翌82年、意外にも自販の豊田章一郎社長が自工の社長も兼務するという形で工販併合がなされました。自工の英二社長は新生トヨタの会長に納まる形になりました。

 これは、ディーラーに対する配慮以外にはあり得ません。それ程までにディーラーに配慮するトヨタの姿勢に、世間はさらにビックリしたのでした。

 筆者が67年に自工に入社した時、大卒新入社員の教育は工販で一緒にやりました。新入社員の数は自工が150人、自販が30人だった記憶があります。この比率で両社の規模を推し測れば、ほぼ「5対1」という比率になります。

 通常の合併のやり方ならば、自工が自販を吸収することになるのでしょう。しかし、それでは自販の取引先のディーラーに対して礼を欠いてしまいます。