4月18日、福島市から相馬市に向かう中村街道(国道115)の途中、霊山の麓から飯舘村佐須に入る。
峠を下って集落の手前で撮影していると菅野宗夫さんが車で通りかかり、1時間ほど立ち話をした。宗夫さんは「支援は住民の自立を促すものでなくてはならない」と言い、国主導で進められる復興支援はそうなっていないと言う。
宗夫さん自身は、NPO「ふくしま再生の会」と協力しながら実証試験やデータ計測を継続するなかで蓄積された知見から、再生への道筋は見えているようだ。ただ、現在急ピッチで進められている除染事業にその住民主体の知見がどう生かされるかは分からない。
そうした話を聞いているあいだも、すぐ横の道路を除染作業の関連車両がひっきりなしに行き来する。
土地の除染は、表面の土を剥がし、汚染されていない土で覆う(客土)というもの。そしてその客土は現地調達されている*。
飯舘村では村内のいたるところで山を削って採土しているが、ひと山全体の樹木が伐採され削られているような場所はいまのところここしか見ない。斜面にへばりついたブルドーザーが山を崩し、土を運ぶダンプが出たり入ったりを繰り返す。
除染を終えたとき、この山はなくなってしまっているのだろうか。記憶とはまったく異なる風景が、そこかしこに出現することになるのだろう。
ちなみに山林除染で山全体を皆伐することはない。山林の除染は住居や農地の周辺に限られ、伐採する樹種も定められている。
*山の土だって汚染されているのだから現地調達では除染の意味がないと思うひとがいるかもしれないので補足しておくと、セシウムは土中の粘土に固着して、粘土層より下への浸透はほとんどない。それよりも問題は、そうした放射能汚染のない山土は、作物が育つのに必要な養分さえもないということ。そしてこの「ただの清浄な土」が、歳月をかけてつくられてきた養分に富んだ表土を剥いだあとの農地に客土されるのである。
蕨平での除染作業
飯舘村の南部にあって帰還困難区域の長泥と接する蕨平は、村内の他の地区と比較して山間地の色合いが一層倍濃い。村内でこの地区に通じるのは、小宮~蕨平~長泥をつなぐ道だけだ。
それが長泥との境界で管理ゲートによって遮断されたため、蕨平は道の「どんづまり」のようになってしまった。そのことが、道を完全に閉ざされた長泥とは別種の孤絶感を地域にもたらしているような気がしてならない。
その蕨平でも除染の作業範囲は日を追って広がり、除染ゴミの減容化施設建設予定地の整地も進められている。
当初は「帰還困難区域に指定されなければ除染に協力しない」ことで地区がまとまっていた。やむなく方針を転換した経緯を、2013年1月に賠償請求集団申し立て記者会見で区長の志賀三男さんは説明した(2013年01月24日■蕨平賠償請求集団申し立て記者会見)。