広辞苑によれば「レッテルを貼る」というのは、「一方的に或る評価・判断を下す」とあり、用途例として「反逆者のレッテを貼る」と紹介している。

 人は誰でも他者に対してレッテルを貼りがちである。私なども知らず知らずのうちに、他者に対してあるレッテルを貼ってしまっていることもあると思う。何と言っても「一方的に或る評価・判断を下す」という作業は、分かりやすいし、簡単だからだ。

 ただ当然のことだが、これは危うさを免れない。多くの場合、レッテル貼りは、よく吟味もせずに独断と偏見に満ちたものになりがちだからである。いわば思考停止なのである。

 これが個人の場合には、特定の個人を著しく傷つけることになる。あるいは企業や団体に対してであれば、企業活動や団体活動を妨害することにもなりかねない。実際、村社会では現代でも、「厄介者」というレッテルを貼られたため、事実上「村八分」状態にされたという事例もある。

一方的に「転落者」呼ばわりされた

 私自身も日本共産党を離党し、新潮社から『日本共産党』(新潮新書、2006年4月発売)を出版した際、筆坂は「落ちるところまで落ちた」「転落者」というレッテルを共産党によって貼られた。この結果、共産党内では、私の本を読まなくても「筆坂は転落者だ」という評価が行きわたることになる。「筆坂の本など読まなくても、転落者だということは分かる」という趣旨の記事が「しんぶん赤旗」に掲載されたことさえある。「私のことを何と思おうと勝手だが、せめて人を批判するときには、その著書ぐらい読んでからにしなさいよ。そうでないとあなたの知性が疑われるよ」と言いたかったが、貼られたレッテルをなんの吟味もなく信じきっている党員には、無駄なだけであった。