スイス中部にある観光都市ルツェルンの街の名は、クラシックファンにはとりわけ馴染み深いはずだ。ドイツの作曲家ワーグナーは、参加した革命運動が失敗に終わった後、スイスに亡命してこの街に居を構えた。ロシアの作曲家ラフマニノフがヨーロッパの活動の拠点としていた街でもある。ワーグナーの邸宅前で1938年に行われたコンサートを起源として、毎夏約1カ月にわたって開催される伝統の音楽祭「ルツェルン・フェスティバル」は、今でも世界中の音楽ファンを引き寄せる。

世界的に有名な夏の音楽祭「ルツェルン・フェスティバル」の会場ルツェルン・カルチャー・コングレスセンター(KKL)。(KKL Luzern bei Nacht   LUCERNE FESTIVAL提供)

 しかし、その音楽の街ルツェルンの縁の下を支える日本人男性の存在は、日本の音楽ファンにもほとんど知られていない。

 「全ての人に歌う喜びを!」――元オペラ歌手の古川卓一(71歳)は、地元の男声合唱団や高齢者たちの歌のグループの指導に当たっている。「古川さんの指導で、声がよく通り、高い音域も無理なく出せるようなった。何より人柄がいい」。話好きで温厚な古川はすっかり地域に溶け込み、多くのスイス人の「弟子」を育てている。(文中敬称略)

美空ひばりの天才的な感情表現に感銘

スイスで暮らす元オペラ歌手の古川卓一さん。70歳を過ぎた今も、毎日の生活から音楽は切り離せない(筆者撮影)

 古川は、スイスの子どもたちの声楽・楽器演奏教育の主要機関「音楽学校」で、15年間にわたって指導に当たった。専門は声楽だが、高校2年から始めたピアノの腕も一流だ。音楽学校を退職後の現在も、自宅で歌やピアノの個人教授をしたり音楽コンクールの審査員も務めるなど、スイスの音楽指導に取り組んでいる。

 古川は福岡生まれ。宮崎大学の音楽科に入学し、東京芸術大学の声楽科に編入。首席で修了し、そのまま大学院のオペラ科に進学した。

 大学、大学院では音楽家としての専門教育を受けたのだが、古川にとってもう1人、忘れられない心の師がいる。美空ひばりだ。大学院在学中にバックコーラスのアルバイトに応募して起用された。当時の美空ひばりは、「真っ赤な太陽」などヒット曲を次々と繰り出し、人気・実力ともに不動のトップの地位にあった。その歌声を2年間も、間近で聴いたのだ。

 「ひばりさんは、音程を外すことが1度もなかった。感情表現も天才的。音楽には、ああいう深く、強い表現力が必要だと思う」。オペラと歌謡曲──ジャンルは全く違うのに、美空ひばりの歌声は古川の心を強く打った。「クラシックこそが最高の音楽だという思い込みを持たなくなった」という。