日本の民主党政権(鳩山内閣、菅内閣、野田内閣)は失敗に終わった。この事実は民主党の党員も否定しないだろう。

 民主党政権は日本国民が待望していた政権交代を実現したのに、なぜ失敗に終わったのだろうか。その代表的な説明は、民主党には政策を実行する能力がなかったということ、つまり政権担当能力がなかったということである。だが、自民党には政権担当能力があるのかというと、1回目の安倍政権と麻生政権を振り返ると政権担当能力があったとは思えない。

 では、民主党はどこで失敗したのだろうか。それは民主党が進めたほぼすべての改革にフィジビリティー(実行可能性)がなく、実現不可能なものばかりだったということである。

 例えば民主党は「年金がもらえなくなるぞ」と国民を脅しながら年金制度の改革を進めようとした。その際、政治家の不手際を官僚のせいにするなど、無責任な言い訳が多かった。その結果、官僚が政治家に協力せず、改革が実行されずに失敗に終わった。

 改革が成功するかどうかは、まず国民のコンセンサスを得られるかどうにかかっている。同時に、改革を推し進める政治家と官僚が一致団結することがカギとなる。

 毛沢東時代の中国では、政府が国民に改革を呼びかけたものの、ほとんどの号令は支持されず失敗に終わった。一方、鄧小平が推し進めた「改革開放」政策は国民に広く支持されたため、大きな成功を収めたのである。

先送りにされてきた改革

 胡錦濤政権の10年間(2003~12年)は高度成長が続く黄金期だった。同時に、本来は市場経済改革に最も適している時期でもあった。なぜならば、低成長期における改革は、不利益を被る既得権益層に強く抵抗される。しかし、胡錦濤政権の10年間、国民は改革の深化を待望していた。北京五輪と上海万博の開催が改革の追い風となり、抵抗勢力は改革を阻むことができなかったはずだ。しかも、当時、改革の方向性はすでに明確だった。金融、財政、国有企業、規制、社会保障制度などすべての制度を市場経済型のものに改めることである。

 それにもかかわらず、胡錦濤前国家主席も、温家宝前首相も、抜本的な市場経済の改革を決断しなかった。前任者の朱鎔基元首相が進めた改革の遺産を、ただ単に食い尽くしてしまっただけだった。