このタイミングですが、あえて誤解を恐れずに書きましょう、ASKAは大変好きなアーティストでした・・・いや、誤解を恐れて訂正しておきましょう。彼の薬物使用疑惑などを擁護するようなつもりは欠片ほどもありません。それについては厳密な処断があるべきと思います。

 また同時に強調したいと思うのは、ドラッグに頼ることを「クリエーターとして作詞作曲に行き詰まって・・・式」な説明が通用しないことです。

 「アーチストだから」といった、理由にならない薬物使用の正当化?の言い訳は、作り手の1人として一切否定させてもらいます。

 クリエーターの仕事をして、うまくいっているときは、脳内麻薬的なものが出るモノです。私などは天然でそれが多めに出ているタチなのでしょう(苦笑)

 枯渇してきた人が、薬物などを使用して、うまくいっていたときのような意識を持つとしても、そんな状態で作ったモノにろくな結果が出たためしはありません。自分一人だけいい気持ちになっている主観の錯覚、あえて言えば「一人咲き」で、冷静に外部から観察する人にとっては、実にお寒い結果しか見えません。

 別にモーツァルトはシャブ漬けではなかったと思います。天然で頭の中は花咲いたようになってたかもしれませんが・・・(笑)

 ものづくりと依存症を短絡して結びつけること、それ自体が一種の商法だと思った方がいいでしょう。何かと世間は天才神話っぽいものが好きだし、それは狂気と紙一重に見える方がスキャンダラスで宣伝上は効果的なもの。でも、そんなの、障害を売り物に音楽を商売するようなものと同様で、しょせんは絵に描いた餅に過ぎません。

 今回は、特段ファンとかそういうことではないのですが、私が長年、一人の音楽人として、同じ時代にポップスを作ってきたクリエーターとして好きだな、と思ってきたASKAという人の手仕事について、思ってきたことを書いてみます。

はっきり分かる独学独歩

 先週、東大駒場でのオペラの授業の冒頭で、とても残念だと思うと学生たちに話しながらピアノで「Say Yes」を弾いてみせ、その美点について話しました。18~19歳の学生たちにとっては生まれる前のヒットソングですから、知らない子も多かったと思いますが、一部年長の人たちにはバカ受けしていました。

 これは明らかに授業からの脱線ではあります。本来はヴァーグナーやヴェルディを扱うコマですので。が、学生には和声の初歩から補って話をしているので、コースの筋の中で意味のある脱線をしたつもりです。

 「Say Yes」は飛鳥涼の作詞作曲とクレジットされています。本人と一切面識などありませんが、同様に発表されている多くの楽曲から見て、この人が自分で詞も音楽も作っているのは間違いないと思います。と言うのは非常に手作りであるのが見えるから。

 学生に話した「Say Yes」の美点は簡単な2点だけです。

 1つはオクターブと3~4度という比較的狭い声の領域・・・しかもこれは自分たちで歌うわけですから、自分という「楽器」の美点を知り尽くしたうえで、冒頭から冷静に「勝負だけで作った」ような旋律線であり歌詞であり歌唱であること。

 比較的多くの歌謡曲では後半に繰り返す「サビ」などと呼ばれる部分以外、埋め草みたいな楽句があることが少なくないですが、そういうものが1つもないこと。

 彼らはデビュー以来十余年、ヒットに恵まれず、トレンディドラマとタイアップしたこのシングルは、はっきり勝負したと思います。こういう真剣勝負には男惚れしますね。