1966(昭和41)年6月30日未明、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で味噌製造会社専務宅が全焼し、現場から殺害された一家4人が発見されるという凶悪事件が起きた。この日は、ビートルズの歴史的な来日公演の初日で、被害者の1人である一家の次女は、2日後に東京の日本武道館に行くのを楽しみにしていた矢先だったという。
世界で最も長く収監されている死刑囚
同年8月18日、この会社の従業員で、元プロボクサーの袴田巌(当時30歳)が強盗殺人・放火などの容疑で逮捕された。彼は当初容疑を否認したが、取り調べの最終局面で犯行を認め自白した。
しかし公判開始後には、自白は強要されたものだと起訴内容を否認。一審の静岡地裁は被告側の主張を退け有罪とし、死刑判決を下した。その後も被告は無実の罪だと訴えてきたが1980年11月に最高裁が上告を棄却、死刑が確定した。
1981年4月、無実を訴える袴田死刑囚は静岡地裁に裁判のやり直しを求める再審請求を申し立て、日弁連もこれを支援した。しかし、同地裁は請求を棄却、即時抗告も高裁で棄却され、2008年3月には最高裁で請求の棄却が確定した。
翌月、袴田死刑囚は第2次の再審請求を申し立てた。それから4年8カ月、このほど請求審で弁護団と静岡地検双方からの最終意見書が提出された。
このなかで弁護団は、犯行を裏付ける有力な物証である犯行時の着衣として挙げられた「5点の衣類」について、その存在自体が捏造であると主張、再度のDNA鑑定によって返り血とされた血痕は被害者のものと一致せず、衣類は袴田本人のものではないと訴えた。
また、新たに開示された証拠である当時の「自白録音テープ」を鑑定した結果、自白は強制、誘導によるものであることが明らかで、無実の証拠であると訴えている。
一方静岡地検は、DNA鑑定について、弁護側の鑑定方法は信用性がないなどとし、また自白の信用性については、確定判決は自白を主柱にしていないなどと反論、再審開始となる新証拠にはならないと主張している。
早ければ来春にも、再審可否について静岡地裁の判断が下されると関係者は見ているが、事件当時30歳だった袴田死刑囚は77歳。一審の死刑判決(1968年)からは45年が経過。42年の時点で「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス世界記録に認定された。
この事件は、公判が始まってから新たな証拠が出てくるなど、“証拠の登場の仕方”について不自然なところがあるなど確定判決に疑問な点は多い。また、2次請求中に、かつて第一審で袴田裁判を担当した裁判官の一人が、当時「無罪だという心証を抱いていた」という衝撃的な告白をした。
袴田死刑囚は、近年は拘禁症状が進み認知症もあらわれ、自身の裁判関係の事柄には拒否反応を示し、さきごろ静岡地裁の裁判官がこの事件に対する意見を確認するため東京拘置所に袴田死刑囚を訪ねたときは面会を拒否した。
新証拠の価値がどう判断され再審開始となるのかどうかはもちろん注目されるところだが、この長きにわたる審理はいったいなにを物語っているのか。問われるべきものは何なのか。弁護団の小川秀世弁護士に、事件と裁判の問題点についてうかがった。
(敬称一部略)