新たにロシアから化学兵器の国際社会管理との提案があり、シリア内戦への軍事介入の是非が問われるなか、米国は9月11日を迎えた。
そこで、12年前の「世界を変えた日」を、いまだ「その後」に強い不安を感じていた2002年9月11日に公開することを前提に撮り上げたオムニバス映画『11´09¨01/セプテンバー11』(2002)で追いながら、近年の軍事介入を振り返ってみようと思う。
セプテンバー11でたどる軍事介入史
「11カ国の監督が異なる文化を背景にそれぞれの主観で描いた完全なる表現の自由」というこの作品は、タリバンの圧政から逃れてきたアフガニスタン人の暮らすイランの難民キャンプから始まる。
2002年1月、ジョージ・W・ブッシュ大統領が一般教書演説の中で、イラク、北朝鮮とともに「悪の枢軸(Axis of evil)」扱いしたかつての親米国家イランのサミラ・マフマルバフの手によるものである。
しかし、アフガニスタンで親類が(恐らくタリバンから)受けた虐待を無邪気に話す子供たちに、女性教師が米国での惨事を伝えても、その地を想像すらできない子供たちは、神の仕業と思うだけ、という描写に露骨な反米スタンスは見えてこない。
場面は変わってニューヨークのアパート。『男と女』など、過剰とも思える音楽でセンチメンタリズムを刺激するフランスのクロード・ルルーシュ監督が描く耳の不自由な女性の音のない恋愛劇のラストは、辛くもテロ現場から生還した恋人との再会。
そこには、自分とてテロ被害者となったかもしれない、という視点がある。
しかし、どうして自分たちが、という考察は、次のエジプト映画界の重鎮ユーセフ・シャヒーン監督のエピソードにゆだねられる。
大惨事にショックを受け米国から帰ってきたシャヒーン監督(演じるのは本人ではなく俳優)が、アレクサンドリアの海辺で思索にふけっていると、米兵の亡霊が現れる。
1983年10月、内戦下のレバノンの首都ベイルートの米国海兵隊基地にワゴン車が突入する自爆テロで240人余りが死亡した事件の犠牲者である。