池井戸潤の小説『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』(いずれも文春文庫)を原作にした『半沢直樹』(TBS系)というドラマが大評判となり、毎週高視聴率を記録している。
実は、私自身、かつて三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に勤めていた。ちなみに池井戸は三菱銀行に勤めていた。そんなこともあって銀行を舞台にした小説には親近感があり、池井戸作品の9割がたは読んでいる。
池井戸作品は、半沢直樹に典型的なように、最後に「倍返し」「10倍返し」があって、大変痛快であることも、気に入っている大きな理由でもある。
漢字の読めない首相が登場する小説
そんな池井戸作品の中で、銀行や企業が主舞台ではない数少ない作品の1つが『民王』(文春文庫)である。舞台は、政治の中枢国会と内閣であり、主役は、日本の首相とその“ドラ息子”という設定だ。
この小説がポプラ社のウェブマガジン「ポプラビーチ」で連載が始まったのは、2009年8月28日、麻生太郎政権の最末期の時期である。この半月後には、民主党を中心にした鳩山由紀夫政権が誕生している。
主役の名は、首相になる武藤泰山とその息子、翔である。物語は、アメリカの製薬会社と対立する政党の陰謀で、2人の人格が入れ替わってしまうという奇想天外な設定から始まる。外面は首相の武藤泰山だが中身は遊んでばかりの大学生の息子翔、外面は翔だが中身は首相の武藤泰山というわけである。
息子の翔が首相として国会に出席し、書いてもらった原稿を読み上げるのだが、「未曾有」を「ミゾユー」、「踏襲」を「フシュウ」、ここまではあの麻生首相と同じである。さらに「低迷」を「テイマイ」、「惹起」を「ワカオキ」、「直面」を「ジカメン」、「派遣」を「ハヤリ」と読むなど、誤読のオンパレードで野党やマスコミからも袋叩きにされてしまう。
だがこの小説は、単なる麻生太郎風刺小説では、まったくない。
そのことは親父の泰山が、息子の代わりにいくつもの企業の面接試験を受ける場面を見れば、よく分かる。
大銀行の面接では、公的資金を注入された銀行の傲慢さや貸し渋りを厳しく批判する(何しろ外面は息子の翔でも、中身は現役の首相である)。また、無農薬食品を売り物にしている会社の面接では、実は無農薬食品はコストがかかり売れないため農薬まみれの野菜作りに舵を切っていることを知り、「売れないから、安いからといって、金儲けのために外国産に走れば、日本の食文化は将来大変なことになる。あなた方がやっていることは、日本人の心を売っているのと同じなんだ」と啖呵を切ってしまう。