トヨタ自動車「ポルテ」、日産自動車「ノート」、同じく「ラティオ」、三菱自動車「ミラージュ」、スズキ「ワゴンR」、フォルクスワーゲン「up!」、プジョー「208」、クライスラー(ランチア)「イプシロン」・・・。この3~4カ月の中で私が「味見」した、いわゆる「スモールカー」の範疇に含まれるニューモデルを振り返ってみると、こんな車名が並ぶ。複数の仕様を試したモデルもあるので、それを全て合わせると15台ぐらいと対話したことになる。

 その中に「良品」はあったか、と聞かれると、残念ながらほとんどなかった、と答えざるをえない。

 この場合の「良品」とは、クルマのサイズからしても、日常生活の中に溶け込んで遠近様々に走りまわり、1~4人の人間と、時にはちょっとした荷物を載せて移動する「実用品」としてどうか、という視点からの判断になる。言い換えれば「クルマとして『ベーシックな機能』を、今日の工業製品としてどう実現しているか」なのだが、これが実は難しい。この「ベーシックな機能」はただ「適当な大きさの空間が動けばいい」わけではないからだ。今日の自動車に求められる様々な機能と資質の全般にわたって「基本的に十分」だと考えられるレベルがあって、それを満たしているかどうかが問われることになる。

 その評価について、日本はかなり甘い。このクラス(乗用車の分野では「セグメント(商品領域)」という呼び方が使われることも多い)こそ、その能力をフルに使うためにユーザーと市場の評価が厳しいヨーロッパはもちろんだが、「人生の中での思い切った買い物」として様々に情報収集して選び、その結果が口コミで伝わる自動車社会発展途上国・地域の方が日本よりもずっと市場の判断は厳しいものになる。

 もちろん私がいつも語っているように、世界のどこであっても、当然ながら日本でも、どの「1台」を選んで自分の生活の中に組み込むかは、そこから何年かにわたって様々な変化をもたらす。

 まず自動車という「走る道具」を自分の身体の延長として危なくなく操ることが自然にできるか、に始まり、クルマで動くことにポジティブになる場合もあれば、逆に何となく消極的な気分になって「クルマなんて無くてもいいかな・・・」と思うようになる場合もある。それは、日常を共にするクルマの資質によるところが大きい。皆さんはそうとは意識しないままクルマとの暮らしを続けている。それはそれでいい。「人の生活の中に入り込んだ時に『良い伴侶』となれるかどうか」を考え、実体化することこそ「クルマづくりのプロフェッショナル」の仕事なのであり、それを信じて買って、走らせて、暮らしてもらえばいい、というのが本来の形なのだから。

世界の乗用車市場の半分以上はスモールカー

 世界の乗用車市場全体を見わたすと、こうしたスモールカー、コンパクトカーのセグメントがその総量の半分以上を占める。特に「4人の大人を乗せて移動する空間」としても、走る性能においても、必要を満たした最小サイズ、と認められているクルマたち、欧州車で言えば、フォルクスワーゲン「ポロ」、プジョー「20X系」(その最新モデルが208)、ルノー「クリオ」(日本名「ルーテシア」)、これに対抗する日本車としてはトヨタ「ヴィッツ」(輸出名「ヤリス」)、ホンダ「フィット」(輸出名「ジャズ」)、日産「マーチ」(輸出名「マイクラ」)、マツダ「デミオ」(輸出名「マツダ2」)、スズキ「スイフト」といった面々が競合するいわゆる「Bセグメント」は、車名を挙げてゆくだけでも分かるように、「激戦区」である。 その市場規模は世界全体で5000万台に及ぶ(どこからどこまでを含めるかは難しいところだが)。