3.11当時、首相官邸で官房副長官だった福山哲郎参議院議員(50)にインタビューした。官房副長官は、菅直人総理大臣、枝野幸男官房長官に次ぐ首相官邸のナンバー3である。

 福山氏は、自身が福島第一原発事故後の電源車確保など重要な対策の担当者だっただけではなく、菅総理や枝野長官、海江田万里経産大臣や武黒一郎・東京電力フェロー、班目春樹・原子力安全委員長、寺坂信昭・原子力安全・保安院長らとの意思決定の場所に立ち会った「目撃者」でもある。

 その福山氏が8月10日に『原発危機 官邸からの証言』(ちくま新書)という3.11、中でも原発事故対応に絞った回顧録を出した。3.11、特に福島第一原発事故という歴史的な大事件の政策決定に立ち会った当事者が、これほど短期間で証言を公開することは、歴史の記録として極めて貴重だと思った。

 『官邸の一〇〇時間』(木村英昭・朝日新聞記者著、岩波書店)、『メルトダウン』(大鹿靖明・アエラ記者著、講談社)など当時の首相官邸内部にいた当事者を取材した報告が出版されている。が、政策決定当事者が書いた本はまだ少ない。

原発危機 官邸からの証言』(福山哲郎著、ちくま新書)

 福山氏の本を手にして「なるほどそうだったのか」と得心する部分は多かった。もちろん「あくまでこれは政治家サイドからの視点だな」「誰かをかばっているのではないかな」と思う記述はある。なお「聞いてみないと分からない」私の疑問も残った。それは含みおいて読んだ方がいい。

 公平を期するために言っておくと、私と福山氏は初対面ではない。出身が同じ京都市であり、学年も1年しか変わらない。福山氏は同志社大学→京都大学大学院と進んだ。私は中学高校が同志社で、大学が京都大学だった。学生時代は知り合いではなかったのだが、共通の友人が何人かいる。私のコロンビア大学院での同期生がある国の高官になり、たまたま福山氏の交渉相手だったこともある。そんな「縁」があった。なので3.11が起きて、見知った福山氏の顔を報道で見るたびに、不思議な気持ちがした。

 これまで、福島県の原発被災地や避難民をずっと訪ねて回ってきた。「なぜ住民避難は失敗したのか」がずっと疑問だった。どうしても、政府中枢の取材をしなくてはならない。しかし、悲しいかな私はそういった永田町・霞が関にコネがない。かねて知り合いだった福山氏なら取材に応じてくれるかもしれない。そう思って、国会や政府事故調の調査が終わったタイミングを見計らって手紙を書いて連絡を取ってみた。それが始まりである。

 (インタビューは2012年8月7日、東京・永田町の参議院議員会館808号室の福山氏の事務所で行われた)

住民避難はなぜ失敗したのか

──2012年の3~4月に福島県の現地に行った時からずっと抱いている疑問があります。「福島第一原発の周辺に住む住民の避難はなぜ失敗したのか」ということです。

 どうしてそうなったのか。それを一つひとつ、現地、県、国というふうに、少しずつ上に上がる取材をしています。福山さんのように官邸におられた方々の動きは、コントロールタワーとして一番重要だと思います。そこに福山さんの本『原発危機 官邸からの証言』が出たので、これ幸いと拝見しました。その内容を踏まえて、お話をお聞かせください。