南アルプスと中央アルプス、2つのアルプスが映える町、長野県駒ヶ根市にナパックはある。工場は見晴らしの良い高台にある。もとは大企業の建材工場だったがしばらく空き工場になっていたものを買い取った。大きなサイズの建材を扱っていたので天井も高く、柱も少ない贅沢な設計になっている(中小企業にとっては、コストがかかるのでなかなかできない設計である)。

 この工場を購入したのは2005年だが、ITバブル崩壊後の苦しい時期だった。

 当時、鈴木明会長は社長を引退していたのだが、若い鈴木隆社長と田畑宏喜専務の強気の方針に対して、大反対をした。「借金は返さなくてはならない。無理はすべきでない」

 それというのも、一時倒産寸前になり、人員整理をせざるを得なかった苦い思い出があるからだ。1980年代半ばのことだった。

 親会社の海外への生産移転で、仕事がなくなった。このころは組立専門だから、これといった特殊技術を持っているワケではない。秋田に作った工場を閉鎖せざるを得ない状況になった。今までは家族同様にやってきたが、全員解雇となって労働組合が作られ、第二組合もでき、泥沼化してきた。

 最後は鈴木明社長(当時)が従業員(ほとんど中年女性)の家庭を一軒一軒訪ねて歩いた。父親は出稼ぎで居ない。奥さんが「私が南信電器(ナパックの前身)さんに勤めることができて、息子を高校に行かせることができました。私の収入がなくなったら、高校に行かせることは難しくなります・・・」と泣かれた。しかし方針は変えられない。一緒に泣くしかない。結局心労が重なってか、胃潰瘍で胃に大穴が開いて、手術をし、「社長さんも苦労していなさる」という評価になって争議も収束していった。

 そんな思い出があったから、身の丈を超えるような大投資には賛成できなかったのだ。

 しかし、後を託した息子の鈴木隆社長も、慎重派の田畑専務(明会長と長らくコンビを組んできた)もやる決意だ。最後は会社の方向性について、明さんが今まで何かと相談してきた長老に、「あんたも、若いころは無茶をやっただろ! 若い者に任せてあげなさい!」と説得されて、しぶしぶ承知した。