ロンドンオリンピックで日本サッカーが男女とも大健闘している。「よくやった」と彼らの戦いぶりにテレビの前で深夜、何度も喝采を送ってきた。特に“なでしこ”については、震災後のワールドカップ優勝で、沈みきった日本に力を与えてくれたのを覚えているので、是非ともプレッシャーをはねのけて勝ち進んでほしかった。
予選からのどの試合も見る側として力が入ったが、決勝トーナメントの第1試合でブラジルに勝ったときは喜びと同時にほっとした。というのも、もしあそこで負けたらこの大会が彼らにとって少し後味の悪いものになっていたかもしれないからだ。
ご存じのように、彼らは予選リーグで意図的に南アフリカと引き分け、それが少々議論になった。
もし勝って予選リーグを1位通過すると次の試合会場のグラスゴーまで長距離移動をしなくてはならない。これによる選手の疲労を避けるため佐々木則夫監督は引き分けを指示した。
この程度の行為は勝つための戦略として許容されるという意見がある一方で、好ましくないという意見も出た。なによりも最初から引き分けをよしとする戦い方が、スポーツで大切なフェアプレーの精神に反するのではないかということだ。
スポーツにおける、勝負とフェアであることの関係
また、真剣勝負を楽しみにしている観客や夜中に日本でテレビを見ているファンに対して誠実ではないとも言われた。確かにこの試合は、相手の南アフリカがベストコンディションとは言えない上に、日本が力をセーブしたとあって、なおさら見応えのない試合だった。
さらに、相手チームに対する姿勢として“手抜き”が許容されるかどうかという問題がある。試合後に南アフリカの監督が言った「世界チャンピオンの日本と引き分けたことを誇りに思う」という言葉を聞けば、相手を対等に扱う精神に欠けているではないかという指摘もあった。
日本選手たち自身にも戸惑いを与えた。報道によれば、実際に監督が引き分けを指示したのは試合後半途中だが、試合前から引き分けを狙う可能性を伝えられた選手たちには、応援してくれる人たちのことなどを考えると複雑な気持ちだったという。
同じ頃、オリンピック女子バドミントンダブルスの1次リーグで、中国、韓国、インドネシアの選手たちが明らかにわざと負けようとする試合をした。