衆議院では消費税増税法案が可決され、民主党支持者を中心に失望感が広がっているようです。政権交代を果たした2009年のマニフェストに書かれておらず、自民党の政策を追認するわけですから、失望されるのも当然です。それにしても、なぜ民主党主流派はこんな公約違反をする羽目に陥ったのでしょうか?
マキァヴェッリは言います。1494年、メディチ家が追放されて以来、フィレンツェの社会状態は日に日に悪くなるように見えました。多くのフィレンツェ人は、状況が悪化しつつあると知りつつも根本原因を理解できず、「あいつが悪い」「こいつが悪い」と犯人捜しをしていました。
「犯人」を糾弾して「自分なら状況を変えられる」と大見得を切ってフィレンツェのトップに就任する人が何人かいました。彼らはトップに就任すると、事態の真相をすべて知る立場に立ちます。すると、国家を脅かしている危機の性格や事態の収拾がいかに難しいものか理解できるようになりました。
そして事態の悪化は、捜した犯人の仕業なのではなく「時代のなせるわざ」だと分かり、彼らは持論を撤回していったのです。そうした事情が分からない大衆は、「在野時代の志は、政庁に入ればどこへやら」と皮肉ったと言います。民主党の豹変も同様でしょう。
貴族と平民を和解させるための奇策とは
<人間は、大局を判断する場合は誤りを犯しやすいが、個々の問題で間違うことはない>
(『ディスコルシ 「ローマ史」論』、ニッコロ・マキァヴェッリ著、永井三明訳、ちくま学芸文庫)
第2次ポエニ戦争でハンニバルがローマ軍に大勝したカンナエの戦いのあと、ローマ以外のイタリア諸国は動揺しました。これまでローマに従っていたわけですが、このままではローマは負けるかもしれない。そうなる前にハンニバルと組んでおいた方がいいかもしれないと考えたためです。
中でもイタリア南部の都市、カプアでは、平民がハンニバルを歓迎しそうな勢いでした。というのは、穀倉地帯にあるカプアは裕福な都市だったため、平民が力を持ち、かねがね元老院を支配する貴族を叩きたいと思っていました。欲しいのは体制を変えるきっかけです。ハンニバルが来たら「貴族はローマの味方だ」と言えば、ハンニバルの後押しを得て貴族を叩くチャンスだと見ていました。
当時カプアを牛耳っていたパコウィウス・カラヌスは、平民の味方として立ち回って地位を築いた人でしたが、こうした平民の考えに危機感を持っていました。ハンニバルがカプアに向かっていると知らせが入ると、パコウィウスはハンニバルが来る前に貴族と平民を和解させなければならないと考えます。そうしないとハンニバルがやって来たときに平民が貴族を血祭りに上げてしまう。平民に国家の管理能力などないのだから、カプアは大混乱に陥ると踏んだのです。