入社して3年以内に辞める若者が3割と騒がれていたのは昨日のような気もするが、最近では4割とも、それ以上とも言われているらしい。辞めなくても、離職を考えている新入社員は5割を超えている、というご時世らしい。

 会社をブランドや待遇だけで選択して自分のやりたいことを考えなかったからだ、そもそも仕事が楽しいはずがないのに期待を大きくしすぎたからだ、若者が早すぎる離職をしていく理由には、様々な意見があることだろう。「最近の若い者は・・・」と言われても仕方のない部分が、若者側に多々あることは否定できない。

 しかし、若者だけに責任を押し付けていいのだろうか。ここは、考えてみるべきことがあるような気がしてならない。

 そもそも経営は、若者に「働きたい」と思わせるような環境を提供しているのだろうか。若者だけではない。従業員が「働きたい」と思って働いている企業がどれくらいあるのだろうか。

 「仕事は、そんな甘いものじゃない」とか「がまんしてやるのが仕事だ」といった意見もあるに違いない。実際、多くの人たちが必死に耐えながら仕事してきたし、今も仕事しているのだろう。

 それでも、あえて問いたい。日本の経営は、従業員が「働きたい」と思える環境を提供してきたのだろうか。

 福利厚生の充実に努力してきた、という反論があるかもしれない。給与制度の改革を進めて実績主義などの制度を採用してきた、といった反論もあるはずだ。しかしそれらの多くは、「働きたい」と思わせる制度でなく、「働かせる」ための制度でしかない。

「仕事」を見ず、福利厚生と給与だけを見ている就活学生

 高度経済成長へ日本経済が向かう中、必要なのは労働力だった。増える仕事をこなして利益につなげていくためには、それに見合う労働力の確保が不可欠だったのだ。その労働力をつなぎ留めておくためには、待遇の改善が必要だった。住宅手当を出し、家族手当を出し、会社で保養施設を持つか契約して従業員が安く遊びに行けるなどなど、様々な福利厚生のための手段が講じられてきた。

 そうしたことが充実していればいるほど、従業員は「うちの会社はいいところだ」と思ったはずである。昔の話ではない。人事担当者の話を聞くと、最近の学生がまず質問することは福利厚生の話だという。そして次が、給料だというのだ。

 仕事については、とおりいっぺんは訊いてきても、突っ込んだ話はほとんどないと言っていいくらいない、と不思議がる。