福島の原発事故後、光があたった曲がある。忌野清志郎の「サマータイム・ブルース」だ。RCサクセション名で1988年にリリースされたアルバム「カバーズ」のなかの1曲として収められている。

 原曲は1950年代の米国のロカビリーのシンガーとして人気を博した、エディー・コクランが歌った。元の歌詞は、暑い夏に若者のエネルギーを発散させようといった意味で、もちろん原発とは関係はない。清志郎はこれを反原発ソングに作り替えた。

1988年リリースの「カバーズ

 暑苦しさと日本を埋める原発の鬱陶しさが激しいビートとうまく絡み合っている。原発事故の責任を改めて考えながら、年の瀬にこの曲をもう一度かみしめるように聴いてみたい。

 歌詞のなかでの原発の数はまだ37基(当時)だが、清志郎は、今回の事故後に露見した問題点を余すところなく歌詞にしている。

 どうしてこんなに原発がたくさんいるのか、わかんねぇ。なんのためか? 地震は迫っているぞ、放射能漏れはどうする? テレビが言っている、日本の原発が安全だという根拠がわかんねぇ。

 参加ミュージシャンの顔ぶれも多彩で、バックでは泉谷しげるが叫び、曲によって桑田佳祐や坂本冬美、三浦友和といった異色の顔ぶれが加わる。

 同じくこのアルバムのなかでは、エルヴィス・プレスリーが甘く歌った「ラブ・ミー・テンダー」を作り替えている。「放射能はいらねぇ 牛乳を飲みてえ」という歌詞は刺激が強すぎるのか、放送で遠慮されたようだ。

 このほかボブ・ディランの「風に吹かれて」やローリング・ストーンズの「黒くぬれ」など全11曲に清志郎と仲井戸麗市らが詞をつけている。全体として、カバーズは、原発をはじめ、戦争、貧困、そして金の力のいやらしさなどを、揶揄し告発している。これはロックの精神の一面の表出でもある。社会を言葉と音で抉っていく。

 RCサクセション、そして清志郎がすごいのは、言葉はもとよりサウンドがポップにエンターテインメント性を考えて演出されていることろだ。それでなければ、あれだけのカリスマ性と幅広い層への人気は得られないのだろう。

 この辺りは、レゲエロックの神様ボブ・マーリーのカリスマ性と似ている。例えば、自由への解放を切望する「Redemption Song」や政治的腐敗への怒りや嘆きを感じさせる「No Woman No Cry」を聴けば、音と言葉の力が分かるだろう。

 ところで、アルバム「カバーズ」は反原発、放射能の脅威をテーマにしている歌詞があるため、当初予定されていた東芝EMIからのリリースが中止され、このことの方が大きなニュースになった。東芝が原発メーカーだからだ。

 いま思えば、チェルノブイリからまだ2年後だったが、このアルバムが訴えるものについて、自戒を込めて言うが日本ではどこか他人事のようなところがあったようだ。