しかし、今の中国社会を考察すれば、富の分配が著しく偏在しており、権力の中心との距離によって社会における位置づけがはっきりと分かれる。

 富の分配に直接かかわる者は最も有利な立場に立つ。それに対して、権力と無縁の低所得層は完全に不利な立場になる。

 こうした社会に1つの利点があるとすれば、それは、今日の勝ち組が明日には負け組になる可能性があることから、国民に強い上昇志向が芽生え、頑張ることである。

 すなわち、国民一人ひとりの「人に負けたくない」という気持ちが中国社会の活力の増大につながっている。これは中国の社会主義が経済的に成功した背景になっている。

希望を持たせることの難しさ

 中国政府が社会の安定を保つことができるかどうかは、国民の大多数に希望を持たせることができるかどうかにかかっている。

 中国では毎年、10万件もの暴動事件が起きていると言われているが、そのほとんどは希望を失った者の過激な行動である。なぜ、希望を失った中国人が増えているのだろうか。

 それは不平等な立場に陥ったのではなく、「公正」に扱われない結果だと言えよう。

 人間は自らの努力が報われず、ひどく差別を受けた場合、失望する。中国人の多くは失望する際、自殺を選ぶのではなく、過激な行動に出る傾向が強い。したがって、中国政府と共産党は社会安定を保つために、誰でも努力すれば報われる公正な社会を築き、国民の大多数に希望を持たせることが重要だ。

 今さらマルクス主義と毛沢東主義が人々に希望を与えて元気づけるとは考えにくい。共産主義と社会主義の「ユートピア」をもって人々をマインドコントロールするのも非現実的であろう。

 アダム・スミスの古典派的な考え方、鄧小平のようなリアリズムに基づいて考えれば、中国社会が目指す方向性は「公正な社会」の構築である。いかなる者でも、その社会地位にかかわらず公正に扱われれば、人々は自らの存在について希望を持つことができるようになる。

共産党幹部の行動は国民による監視が必要

 このことを実現するには、政府と国民の契約の実現が不可欠となる。すなわち、法の拘束力を持つ社会契約を強化することであり、法の統治を強めることである。

 考えてみればこれまでの30年、中国共産党は自由化を進め、人々に働く意欲を喚起してパイを拡大させることに成功した。これからは拡大したパイを平等に分配するのではなく、公正に分配する制度作りが求められている。

 つまり、国民一人ひとりが働いた分に応じて分配されるべきである。また、富を分配する共産党幹部が不正な行動を取らないように、国民の監視を法的に認めるべきである。

 胡錦濤・温家宝政権はこの改革についてほとんど無作為だった。2012年の秋、本格的な政権交代が行われるが、新指導部に対する期待が高まっている。