「バンクーバーオリンピックは、ロシアの歴史的な敗北で終わった」。ロシアのマスコミは、どこもこんな言葉でオリンピックの閉幕を報じていた。

 今までの冬季オリンピックでは、ソ連時代を含めてロシアの成績は際立っていた。1956年から冬季オリンピックに参加していたソ連チームは、いつも優秀な成績を見せていた。ソ連崩壊後に10年ほど混乱状態は続いていたが、選手団が大きく弱体化することはなかった。また、トリノオリンピックでロシアは8つの金メダルを獲得し、4位だった。

 ところがバンクーバーで獲得した金メダルの数は3個で11位(メダルの総数は6位)。今までになく低い成績である。

 ロシアのスポーツファンだけでなく、「オリンピック選手団の強化に責任のある人たちは、退職願いを書いてもらわなければならない」とメドベージェフ大統領もいら立ちを隠さない。

 ROC(ロシアオリンピック委員会)のチャガチョフ会長は「ROCの責任はオリンピック参加の手続きをすることだけで、選手団の強化は管轄外だ」と反発していたが、結局辞任した。

 一方、スポーツ観光大臣は、「私の立場は揺るがない。不振の責任は自治体のスポーツ担当の方にある。自治体はスポーツの発展に十分な注意を払っていない。成功するためには、まず、スポーツ発展にかける予算を数倍に上げなければならない」として、退職を拒んでいる。

 本来、スポーツと政治は関係ないはずである。例えば、日本チームの成績もかんばしくないが、文部科学大臣やスポーツ担当の官僚が辞任させられることはあり得ないだろう。

 確かにオリンピックでの勝敗は国家のプライドに関わる問題である。しかし、オリンピックで勝ち取った金メダルの数が、国の力や成長度合いと比例するかというと疑問である。スポーツは運に左右される部分も大きい。

ソチがアブハジアのすぐそばにあるという懸念

 ロシアの反応が過度に敏感であった理由は、いくつかある。