カダフィ大佐が殺害された。サダム・フセイン、ウサマ・ビンラディンに続き、国際社会が裁く前に、欧米の厄介者がまたも鬼籍入りしてしまったのである。幾多の暗殺計画をくぐり抜け、不死身にも見えた男の最期は、あまりにもあっけないものだった。

カダフィの死で歴史の闇に消えた事実

リビア国民評議会、カダフィ大佐の死亡を発表

シルトで拘束されるムアマル・カダフィ大佐(2011年10月20日撮影)〔AFPBB News

 ヒーローになりたくて仕方ない少年が「自分がカダフィを殺した」とわめきちらす姿を映し出すビデオは、まるで功名心に駆られ有名ガンマンを殺さんとする西部劇『ジェシー・ジェームズの暗殺』(2007)の哀れな主人公のよう。

 見たあとには虚しさしか残らない。これで謎に包まれた多くの事実が明かされることもなく歴史の闇へと消えていってしまうのである。

 亡命を拒否され絶海の孤島に流されたナポレオン・ボナパルト、国際戦犯法廷での裁判中獄中死したスロボダン・ミロシェビッチ、民衆の面前で銃殺されたニコラエ・チャウシェスクなど、確かに独裁者、虐殺者たちの末路は哀れだ。

 しかし、皆が皆、似たような道を辿ったわけでもない。無事亡命し、ちゃっかり悠々自適の余生を送った者も少なくないのである。

 『ラストキング・オブ・スコットランド』(2006)で描かれているがごとく、自国民を30万人は殺したとされているウガンダの残虐なる独裁者イディ・アミンはサウジアラビアに亡命し天寿を全うした。

「逃げるくらいなら殉教者となる」

リビアの街中にはこうしたカダフィ大佐の絵も数多くあった

 また先日の大統領選の際、亡命先の旧宗主国フランスから舞い戻り、「祖国のためを思って帰還した」と臆面もなく言い放ったハイチを私物化していた元独裁者ジャン・クロード・デュヴァリエのような者さえいるのである。

 カダフィは近年アフリカ連合に入れ込んでいたこともあり、ギニアビサウなどブラック・アフリカ諸国が亡命先として手を挙げていた。

 また、カダフィの甥がダニエル・オルテガ大統領の個人秘書をしているニカラグア、そしてもちろん、反米の盟友ウゴ・チャベス大統領のベネズエラなどへの亡命という選択肢もあったはずである。

 しかし、窮地に陥った際、「逃げるぐらいなら殉教者としてリビアで死ぬ」と宣言した通り、故国で最期を遂げることになろうとは夢にも思わなかったことだろう。