普天間のことは書かない。どれほど日米同盟を痛めつけてくれたか、書き始めたら平常心を失いそうだ。ここ20年くらいの歩みがご破算にされ、時計の針が戻されてしまった。
普天間の海兵隊に出て行かせていいのか
問題は乱暴者、狼藉者の如くに言われ、とっとと出て行けと言われる普天間の海兵隊(マリーン)である。あれは邪魔者なのか。
居なくていいのか。少し減るのはやむを得ないのだとしても、居てくれないと困る。
「尖閣列島に中国が攻めてきたら日米安全保障条約が発動され、米軍は来てくれるんでしょうね」――なんてことを、とかく日本は米国に確かめたがる。
しかも自分では尖閣に物理的プレゼンスを置くでなし、何もしないでいて、なおかつしつこく確かめたがるのだけれども、指呼の間、在沖海兵隊を根こそぎ居なくしたりしてでもいたら、それこそ中国さん、いらっしゃーいと言ってるようなもの。「へそ茶」の議論だ。
マリーンは日米をつなぐ血の紐帯
もう1つの考え方は、彼らマリーンを日米をつなぐ血の紐帯とみることだ。若い米国人のblood poolが沖縄にあり、日本の各所にある。これくらい、米国が日本防衛に示した堅いコミットメントの証拠はない――沖縄のマスコミも、少しはこういう観点からモノが見られないものかと思う。記事を書いている青年記者に、実は戦争体験はおろか、沖縄返還前の記憶すらないだろうに――。
代わりに日本は戦後一度も同じ強さの関わりを米国のため示したことがないのであるから、片務性はここにおいて際立つ。