やや気の早い話かもしれないが、中国は政権交代の季節に入った。次期政権の人事を占い、その政策を展望するために、胡錦濤・温家宝政権の政策を総括しておく必要がある。

 振り返れば、中国の「改革開放」は30年余り経過した。鄧小平(1904~1997)の時代は錆びついたマシンを動かすために経済の自由化を進め、インセンティヴを付与した。その後、江沢民(1926~)の時代において市場経済への制度移行を明確化し、中小国有企業を民営化し、財政・金融制度の改革もいくぶん進展した。

 では、胡錦濤・温家宝政権になってから、どのような改革が行われたのだろうか。

 この問いに答える前に、中国政治情勢の特異性を明らかにしておきたい。中国共産党は創立から今年でちょうど90年経った。政権を握ってから60年余り経過し、前半は毛沢東(1893~1976)の時代だった。毛沢東は近代中国の指導者であり、同時に、中国の長い歴史において真の「ラストエンペラー」(最後の皇帝)でもあった。 

 毛沢東時代の中国では、「社会主義」イデオロギーの理念は、近代社会の思想というよりも、ある種の教義だった。当時、共産主義のファンダメンタリズム(原理主義)ほど一神教の宗教はなく、晩年の毛沢東はまさに神様のような存在だった。現在になって、中国のリベラルな研究者、茅于軾(ぼう・うしょく)氏は、「毛沢東を神から人間に還元すべし」との記事を発表し、国内で大きな反響を呼んでいる。 

鄧小平はなぜ毛沢東を完全否定しなかったのか

 中国で毛沢東思想の被害を受けた指導者は鄧小平だけではないが、鄧小平ほど奇跡的な復権を果たした指導者は他に見当たらない。

 人生の中で3回も毛沢東によって失脚させられた。実の息子も迫害を受け、ビルの上から飛び降り、足が骨折し、今も車いすの生活を強いられている。鄧小平は普通の人では考えられないほどの忍耐力と政治力を持って3回も復権を果たした。毛沢東死後、鄧小平は権力の座に返り咲き、「改革開放」政策を推進したのである。

 毛沢東と鄧小平には共通点がある。それは、いずれも自らが戦って権力を手に入れた指導者だったということだ。その後の指導者は、胡耀邦、趙紫陽、江沢民、そして現在の胡錦濤も、前任者によって指名されたものである。その違いはカリスマ性の強弱に表れてくる。