会社が、成長のスピードを上げるために、自前で全てやるよりも企業合併を選んだ方が得策だと考えたとしましょう。あなたは、社長から「どの会社を買収したらいいのか調査せよ」との指令を受けました。
まずは心当たりのある会社を調べます。買収の目的が自社にない技術の確保なら、当然その技術を持つ会社を、販路の開拓が目的なら、欲しい販路を持つ会社を合併候補としてリストアップするでしょう。
リストができたところで、考えます。「さて、どの会社と一緒になるのがいいのかな?」
候補となる会社の実力の判定や、買収に必要な資金の計算をしつつ、あなたは一抹の不安を覚えるはずです。「買収するのはいい。でも合併してうまくいくのだろうか? かえって業績を下げることにならないだろうか」
そう考えるのは、買収失敗のニュースをいくつか読んだ記憶があるからです。合併の難しさ。これはマキァヴェッリ(1469~1527年)も苦しんだ問題でした。
港湾都市、ピサが欲しくてたまらなかったフィレンツェ
マキァヴェッリが書記官をしていたフィレンツェ共和国は、イタリア半島中部の内陸部にあります。海がありません。この頃のフィレンツェは、海に出られる港湾を持つのが悲願でした。というのも、この時期はヨーロッパの貿易に革命的な変化が訪れていたからです。それは、ヨーロッパからアフリカ大陸を大きく回ってインドへ行く西廻り航路の発見です。
15世紀半ば、オスマントルコが東ローマ帝国を滅ぼし、東地中海を支配します。オスマントルコは、アジアとヨーロッパの中間に位置することを利用し、シルクロードを使うアジアとの貿易に高い関税をかけました。
困ったヨーロッパ諸国は、オスマントルコを経由しないで東方貿易ができるルートを探します。その結果、見つかったのが、今の南アフリカの下(南)をくぐる喜望峰回り(西廻り)のルートです。発見したのはポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマでした。
一方、地球は丸いから、喜望峰まで南下するより西に行った方がインドに早く行けるはずだと考えたコロンブスは、アメリカ大陸を見つけました。いずれにせよ、ヨーロッパ諸国が東方貿易を行うルートは大西洋方面に開かれたのです。