小2の息子が自転車に乗れるようになった。補助輪はずいぶん前に取れて、それからは私が補助棒を支えながら練習をしていたが、なかなか上達しなかった。

 転ぶのが怖い、という以前に本人の意欲があまり感じられず、無理強いするのも嫌なので、冬の間はほとんど自転車に乗せなかった。それが4月で2年生になってから、友達が自転車で走っているところをたびたび目撃して、息子もやるしかないと心に決めたようだった。

 ゴールデンウイークから練習を再開すると、本人のやる気もあって、あれよあれよと上手くなった。ただし、我が家の周辺は坂道が多い上に交通量もかなりある。平らな道で真っすぐに自転車を走らせることはできても、避けるや停まるは怪しいので、息子の自転車の横を私が走ってついていくという方式での練習が続いた。

 運動不足の解消には打ってつけでも、いつまでもこれでは体力が保たない。そこで6月中旬の日曜日に、私は意を決して、お父さんも自分の自転車に乗るから、一緒に駅前まで買物に行こうと提案した。怖がるかと思った息子も緊張した面持ちで頷いて、われわれ親子は各々の自転車のハンドルを握り、1.5キロほど先のスーパーマーケットを目指した。

 私が先に行き、息子が後からついてくる。走りだしてしばらくは、前を見るよりも後ろを振り返っている時間の方が長かったが、どうやら大丈夫らしいと分かり、私は息子と着かず離れずの距離を保ってペダルをこいだ。

 前から人が来たので、すれ違いながら振り返ると、息子が全身を強ばらせて、自転車を道路脇へと向かわせる。「うまいぞ」と褒めると、わずかに表情をゆるませたが、その拍子にバランスが崩れてタイヤが波を打った。さいわい倒れずに済んだものの、息子はお父さんが声をかけたからだと言わんばかりに睨んでくる。

 「ごめん、ごめん。さあ、もう少しだから、気をつけてゆっくり行こう」

 今は高校生になっている長男にも同じような状況で同じようなことを言ったと思い出し、私はできるだけ前を向いて自転車をこいだ。

 往復共に危ない目には遭わなかった。帰り道では、余裕ができた息子は視線を左右に向けながら、見慣れているはずの景色を楽しんでいた。

 「サイクリングって楽しいね」と顔をほころばせる7歳の息子を見て、この子は今まさに自転車に乗るという能力を獲得したのだと私は思い、親だからこその役得に満足を覚えた。

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 小説家というと、今でも無頼というイメージがつきまとっているようだが、私はたいてい家にいて、家事と子供の相手と執筆に追われている。このところ仕事が立て込み、のべつ書いているかっこうだが、掃除も料理もこれまでどおりにこなしていて、我ながら律儀なものだと感心している。