2009年7月12日の東京都議選で自民党は惨敗を喫した。麻生太郎首相の応援も空しく、有権者は自民党に厳しい審判を下した。党内の「麻生降ろし」を封じようと、麻生はあわてて衆院解散を決断。政府・与党間の調整の結果、7月21日解散→8月30日投開票という衆院選日程が決まった。もっとも、麻生政権は既に「死に体」。これから民主党の「大失策」でもない限り、政権交代は確実に実現するだろう。自民党は潔く下野して再起を図るべきだ。これ以上、ぶざまなドタバタ劇を有権者に見せるべきではない。(敬称略)

都議選、自民大敗 与党過半数割れ 民主が第一党に

都民は自民党に「No」(参考写真)〔AFPBB News

 都議選から一夜明けた7月13日、麻生は21日にも衆院を解散し、8月18日公示、30日投開票の日程で総選挙を行うと表明した。直ちに解散するのではなく、異例の「解散予告」であった。

 東京都議選で自民党は予想以上の惨敗となり、公明党の議席を足しても与党は過半数割れを喫した。そこで自民党内の「麻生降ろし」の動きを封じるため、麻生は先手を打って7月14日にも解散に踏み切ろうと決断したのだ。

 首相周辺によると、麻生は8月8日(土曜日)の衆院選投開票の日程を念頭に置いていた。8月9日の日曜日は、長崎原爆忌という制約があったからだ。その一方で、解散を1週間遅らせて、7月21日に解散、8月30日投開票という案も首相は想定していた。

 「前がいいか、後ろがいいか」――。官房長官の河村建夫と自民党幹事長の細田博之が、各派領袖らとの調整に動いた。

サミット終え、個利個略でやっと解散決断

 麻生自身は「野党が参院に首相問責決議案を提出する前に、解散を決めなければならない」と決意を固めていた。野党多数の参院で問責決議案が可決され、国会審議が全面的にストップする前に、自ら主導権を発揮したいと思ったようだ。

 「解散はしかるべき時期に私が判断する」。こう繰り返していた麻生は、何があろうと解散権だけは手放したくなかった。都議選での自民党惨敗後、解散まで時間がかかれば、その間に与党内の「麻生降ろし」の動きが強まりかねない。

 「お前の方こそブレてないだろうな」。麻生は7月12日、側近議員からの電話にさえ、「麻生降ろし」に動くのではないかと疑心暗鬼を示していた。

内閣不信任案と問責案を提出、野党4党

ようやく解散を決断したが・・・〔AFPBB News

 民主党のベテラン議員は次のように批判する。「これまではイタリアでのサミット(主要国首脳会議)に出たいがために、解散を引き延ばしてきた。今度はこれ以上解散を引き延ばすと、自分が引きずり降ろされるかもしれないから、地位にとどまるために解散すると言う。個利個略だ」

 首相周辺も「都議選での自民敗北という結果が、首相に解散を決断させたのだと思う」と語る。首相就任後の国会冒頭解散を含め、支持率低迷などで何度も解散を先送りしてきた麻生だが、最後の最後、自民党にとっては最悪のタイミングで、国民に信を問わざるを得ない状況に追い込まれた。「本降りになって出ていく雨宿り」という、江戸川柳の状況になってしまった。

「自爆テロ解散」に自民党内が猛反発

 早期解散を求めていた野党や国民の側からすれば、「やっと麻生が解散を決断したか」という思いが強いだろう。2008年9月の麻生政権発足以来、有権者はずっと待たされてきた。結果論から言えば、メディアも随分と解散報道に関して誤報を出したものだ。

 7月14日にも解散しようとした麻生に対し、自民党内からは「自爆テロ解散だ」「とんでもない話だ」――などと反発の声が相次いだ。反麻生派議員だけでなく、与党幹部からも都議選直後の解散に反対論が続出した。