秀吉はどのようにして小田原攻めを乗り越えたのか? “大補給作戦”の真相(後編) 2021.3.10(水) 西股 総生 フォロー フォロー中 生活・趣味 歴史 シェア0 Tweet この写真の記事へ戻る 豊臣秀吉が小田原攻めの本営として築いた石垣山城から小田原の街並みと相模湾を見る。秀吉もこの眺望を楽しんでいた。撮影/西股 総生 北条五代目当主・氏直。秀吉の小田原攻めにより、北条氏の関東支配は終焉する。(Wikipediaより) 細川忠興陣跡 細川忠興が北条軍の砦を落として陣を置いた場所。ほとんどの将兵は、こうした陣所の周囲にあり合わせの材料で粗末な小屋を作り、かろうじて雨露をしのいでいた。撮影/西股 総生 前近代の軍隊が補給の問題を解決するもっとも手っ取り早い方法は現地調達だった。すなわち、略奪である。撮影/西股 総生 小田原城惣構。北条軍は延長9kmにも及ぶ巨大な堀と土塁を築いて、豊臣軍の来襲に備えていた。豊臣軍は結局、この堀を突破できなかった。撮影/西股 総生