「百敲(ひゃくたたき)」の刑、吉宗は計算ずくだった 「公事方御定書」は罪人たちの“再犯”をどのように防いだのか 2018.1.29(月) 有井 太郎 フォロー フォロー中 政治 芸術文化 歴史 学術 シェア10 Tweet この写真の記事へ戻る 佐久間長敬著『刑罪詳説』より、小伝馬町牢屋敷門前での敲刑の執行風景。そばには医師も控えていた(図中の“十”)。(写真:国立国会図書館) 國學院大學法学部教授の高塩博氏。昭和23年(1948)生まれ。國學院大學大学院法学研究科修了。同大學日本文化研究所助教授・教授を経て、同大學法学部教授。日本法制史専攻。法学博士。法制史学会理事、法文化学会理事、公益財団法人 矯正協会理事。近年は江戸時代の刑事法制を中心に研究を進めている。主要著書に『江戸時代の法とその周縁―吉宗と重賢と定信と―』(汲古書院、平成16年)、『近世刑罰制度論考―社会復帰をめざす自由刑―』(成文堂、平成25年)、『江戸幕府法の基礎的研究』論考篇・史料篇(汲古書院、平成29年)、など。 佐久間長敬著『刑罪詳説』より、小伝馬町牢屋敷門前での敲刑の執行風景(再掲)。(写真:国立国会図書館) 拡大画像表示 徳川吉宗(とくがわ・よしむね):1684〜1751年。江戸幕府の第8代将軍。和歌山藩徳川家の第2代藩主光貞の四男。1705〜1716年まで和歌山藩の藩主を務めた後、1716〜1745年まで江戸幕府の将軍となる。享保の改革を推し進め、財政を復興。また、新田開発の推進や目安箱の設置といった政策も行った。