元軍の残虐性を示すエピソードとして、「対馬や壱岐島で捕らえた女性の手のひらに穴を開け、ひもを通して数珠繋ぎにして船に括り付けた」という話も伝えられています。この話は日蓮宗の開祖である日蓮が書いた書状に書かれたものですが、逆を言うと、その日蓮の書状以外には一切見られない描写です。
しかし、「手に穴を開けて数珠つなぎ」という描写は、やはりオーバーではないでしょうか。
というのも、日蓮は元寇以前に、仏法が栄えなければ日本は滅びると予言していました(立正安国論)。その後、元軍が現れると「ほら、言ったとおりじゃん」とばかりに自分の正しさを主張します。当時の日蓮は、言ってみれば元寇の脅威や恐怖を煽る側の立場であり、その残虐性を際立たせようとしたのは決して不思議ではありません。また、そもそも日蓮は元寇の戦況を直接見ていません。伝聞でしか知らなかったということを踏まえると、上記の描写が事実であるかは疑わしいところです。
元軍が日本の侵攻拠点として占領した対馬や壱岐島で島民の虐殺を行い、島民を奴隷として本国に連れ帰ったことは、中国側史料にも記録されています。残虐行為があったことはほぼ間違いないでしょう。しかし「手に穴開け数珠つなぎ」に関しては、事実として扱うべきではないと思われます。
今回は、近年になって見直されている文永の役に関する諸説について取り上げました。次回は、「弘安の役」こと第二次元寇について取り上げます。
・参考書籍:『蒙古襲来』(服部英雄著、山川出版社)
◎続けてお読みください。
第2回「元寇『神風のおかげで日本がミラクル大勝利』は本当か」