同じ孔子の言葉でも
時代や国によって解釈が異なる

 2500年以上前に中国で生まれ、世界中に影響を与えた思想家・孔子。彼の教えをまとめた「論語」は、日本やアジア諸国に広まり、現在に至るまで、多くの人が手に取ってきた。

 この論語の内容は、昔も今も変わらない。しかし、それに対する解釈は、時代や国によって少しずつ変化しているという。同じ孔子のひとことでも、読まれたときの時代背景や、国の置かれた状況により、違った意味で受け止められているのだ。

国士舘大学 人文科学研究科 人文科学専攻
教授 松野 敏之 氏

 そんな論語の「解釈の変化・変遷」を研究している人がいる。国士舘大学 人文科学研究科 人文科学専攻の松野敏之教授(博士)だ。中国思想を専門とする松野氏は、孔子が確立した「儒学」を研究してきた。

「論語では、人間関係や仕事など、人々が身近に感じるテーマについて多く語られています。特に中間管理職の方が感じる悩みや、社会に出てある程度の年齢になって身に迫る内容が多い。それは仕事での振る舞いや人間関係の良化にも役立つはず。だからこそ、社会人の方が大学院で学ぶ意義があります」

 さらに松野氏は、論語の解釈が時代によりどう変わったか、あるいは、日本に入ってどう変わったかを見ているという。

「論語の中には、簡単には答えが出ない問いかけや、読者に正解が何かを考えさせるものも多い。だからこそ、時代や地域によって、その言葉から受け取る意味が変わりやすいともいえます。それを学ぶことで、世の中で何が変化し、何が変わらないのか、時代の先を読む力を養うことにつながるでしょう」

 松野氏は、論語のこんな一節を紹介する。中国に、微生高(びせいこう)という人物がいた。あるとき、彼のもとに「酢を貸してほしい」と、客が訪ねてきた。微生高は、自分も酢を切らしていたのか、隣の家から酢を拝借し、それを訪ねてきた人に何も言わず貸した。この微生高の行動に対し、孔子は「誰が微生高をまっすぐだというのか」と論じたという。

 実はこの一節だけでも、長い間、多くの人がその解釈を巡って議論してきたという。焦点になったのは「思いやりとは何か」について。何かを貸してほしいといわれて手元になかったとき、正直にないというのが思いやりなのか、それとも、何もいわずに他の人から借りたものを又貸しするのが思いやりなのか。簡単には答えが出ないテーマだからこそ、受け手により解釈が変わるとも考えられる。

 こういった論語の解釈変化はさまざまに起こってきたが、特に日本での変化は研究価値が高いとのこと。なぜなら、日本は「外国から入ってきたものをアレンジする文化が強いためです」と松野氏。

「一例として、ひらがなやカタカナは、中国から入ってきた漢字を省略し、日本独自の文字に変えました。いわば漢字をアレンジした結果といえます。日本は、そういった“アレンジ力”に長けていると思います」

経済活動への肯定を
論語に見出した渋沢栄一

 日本で論語が広く読まれたのは、江戸時代(1603年〜1868年)。この頃にできた解釈がもっとも定着しているという。さらに、江戸時代末期に生まれ、その後、日本の資本主義の礎を築いた渋沢栄一も、熱心に論語を研究した。彼が自身の哲学として「論語と算盤」という言葉をよく使っていたのは有名な話だ。

「渋沢栄一は、利益を求める『経済』と、倫理を求める『道徳』は両立するものと考えました(道徳経済合一)。それまで、論語において正しい人物像として挙げられていたのは、お金儲けを良しとせず、貧しくも質素に暮らす人。つまり、経済と道徳は相反するという考えが一般的でした。しかし渋沢栄一は、論語の中でも収益を求めることや、経済活動の重要性は認められている、孔子はそれを否定していないと解釈したのです。こういった意見は今までの解釈では珍しいものでした」

 それまで対照的な存在として語られがちだった道徳と経済を、渋沢栄一は共存すべきものと考えた。「分かりやすくいうなら、他の人が喜ぶような労働をすれば、きちんとそれだけのお金が入り、またその収入は持続しやすいということです」と松野氏。一方、人を騙して得たお金は身につかない。「道徳のある経済活動からはしかるべき利益が生まれ、その逆は大きな損をすることを、論語から見出したのです」と話す。

 ここまでは論語の大きな解釈変化に触れてきたが、松野氏は、さらに細かな変化を追っている。では、具体的にどのような解釈の変化を研究してきたのだろうか。

 一例として挙げられたのが、「失敗」について触れた章だ。この章では、失敗するとは何かを孔子が説いており、中国では、「失敗の仕方でその人の人間性、悪人かどうかがわかる」という解釈が一般化していったという。

 その後、日本に論語が入ると、この「失敗の章」の捉え方は少しずつ変わっていった。およそ500年前の江戸時代初期、まだ戦乱の名残があり、殺伐とした情勢では、失敗に対して強い罰を与えるなど、過ちを厳しく咎める風潮が強かった。その中で、儒学者の伊藤仁斎は、失敗の章における孔子の言葉から「失敗は、それを改めることが重要だ」と解釈したという。そして、孔子の言葉を根拠に、「失敗に対して、過ちを改めるように導く必要性を唱えた」と松野氏は説明する。

 さらにその40年後、同じ章を別視点で考察したのが、儒学者の荻生徂徠だ。彼はこの章から、政治家の失敗について言及。政治家の失敗は、朝廷や儀式の場では生まれにくいが、気の緩んだ仲間同士の間で起きやすいと伝えた。荻生徂徠は、8代将軍・吉宗に助言をするなど、政治学に長けた人物でもあった。その背景が、失敗の章を政治家の問題につなげたのかもしれない。

「たったひとつの章でも、その人の思想によって読み方は変わります。一人ひとりの解釈の真意を調べるためには、各々が残した論語の解釈書を読むだけでなく、解釈者の人となりや思想を知ることも必要なのです」

文献に当たり、わかりやすく発信する
その作業は社会でも必要になる

 1つの解釈を知るために、その解釈をした人の他文献を読み、類似の表現やその解釈につながる思想、記述を調べていく。さらに、当時の時代や国の背景もつぶさに把握していく。そこまでして、やっと解釈が確定してくるという。

 そして、こういった作業を学生が繰り返すことは、社会で必要な能力の形成につながると松野氏は考える。

「私たちの研究は、ひとつの解釈を確かなものにするために、裏付けとなる文献に多数当たり、そうして解釈が確定したならば、今度はそれを分かりやすく世の中に説明します。このプロセスは、多くの社会人が行うもの。さまざまな情報や判断の中で、正しいものを選別するためにリソースを確かめる作業は必須です。また、自分の意見や考えを他者に噛み砕いて説明する場面は多数出てきますから。そういった力を学生が養えるのはメリットでしょう」

 さらに、研究を通して学生が得られるメリットは他にもある。それは、常識や思い込みの打破だ。論語の解釈が時代や国によって変わる過程を見る中で、自分が当たり前だと思っているものも、いつか変化する可能性があること、あるいは別の地域に行けば、まったく違った考えがあることをを目の当たりにする。それは必ず「社会で役立つ」という。

「個人的なことですが、学生時代に2年間、中国に留学していました。そのとき、同じ留学生寮で過ごしたのは、アメリカやパキスタン、韓国など、異国の人ばかり。みな文化や風習が違うので、いろいろな衝突が起こるのですが、その原因は、自分の常識を『全員共通の常識』だと勘違いしていたことでした。でも、同じメンバーと過ごすうちに、自分の常識が相手の常識ではないと少しずつ理解できたのです。大切なのは、今ある常識が決して全員の常識ではないこと。永遠に続く常識とは限らないこと。この研究を通じてそれがわかると、時代の変化にも対応できる力が備わりますし、また、今後何が変わるか、あるいは何が変わらないかを先読みする力につながります」

 松野氏は、自分の常識を打破する具体的な方法論を挙げる。まず、自分の考えを歴史で比較すること。時代によって起きた変化を振り返る中で、常識がくつがえる可能性が見えてくる。そして次に、自分の考えを地域で比較する。他の地域、国と比べたとき、いかに多様な考えがあるか気づくことができる。こういった形で、学生たちには「自分の常識をつねに時代や他の国と比較しながら、その常識が本当に確かなものか、単なる思い込みではないか考えて欲しい」という。その思考方法を身につけることは、この研究を学生がする意義であり、社会で役に立つ視点になる。それはイノベーションの誕生にもつながるかもしれない。

 2000年を超えて世界中の人々に読まれる孔子の論語。その解釈変化を研究する中で得られるのは、哲学や文学の知見だけではない。ビジネスの世界で必要な当たり前だと思っている常識を疑う目、思い込みを脱する思考の大切さに気づかせてくれる。

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