10年をかけて開発、ヨーロッパで販売
従来の手術器具をロボット化

 さまざまな分野で、人が行う作業をロボットが肩代わりするケースが増えている。工場の製造ラインはもちろん、災害現場や高所など、人が立ち入りにくい、危険な場所での作業も、ロボットへの代替が進むと見られる。

 医療も、ロボットの導入が進む領域だ。人間には難しい作業やミリ単位の動きをロボットが代替することで、精度が高く、また患者への負担が少ない手術が広まっている。

国士舘大学 工学研究科 機械工学専攻 教授
神野 誠 氏

 こういった医療ロボットの開発を行ってきたのが、国士舘大学 工学研究科 機械工学専攻の神野誠教授(博士)。同氏はもともと、東芝の研究開発センターや、医療機器メーカーのテルモに在籍。産業用ロボットや医療ロボットを開発・製品化し、販売へと至った経験がある。

 そして今は、エンジニア志望の学生に向けて、多数のロボットを製品化したノウハウを伝えている。研究開発だけでなく、実際に製品化した経験を持つ大学教授は少なく、そのノウハウを得た学生は「企業でのロボット開発にそのまま生かせます」という。

 企業にいた頃、神野氏が開発したのが、腹腔鏡下手術(内視鏡下手術)に使う「ロボット鉗子」だ。手術の際、腹部を大きく切って開く開腹手術は、患者への負担が大きい。そこで、腹部に小さな穴を開け、「鉗子(かんし)」と呼ばれる長い“マジックハンド”のような医療器具を入れて手術を行う。これが腹腔鏡下手術だ。太さ5mmほどの鉗子の先端は物をはさめる構造になっており、執刀医は同時に体内へ入れた内視鏡の映像をもとに手術をする。

 神野氏は、この鉗子をロボット化した。「鉗子の先端を上下左右に傾ける、あるいは回転させるといった機能を付加しました」という。従来よりも鉗子の動きが多様になり、高度な手術につながるという。東芝在籍時代の1998年から研究を開始し、その研究を続けるために、テルモへ転職。2011年に商品化され、ヨーロッパで発売に至った。

「腹腔鏡手術の分野では、『ダヴィンチ』という手術用ロボットが圧倒的なシェアを誇っています。しかしダヴィンチは、購入費が数億円、維持費も少なく見積もって年間1000万円程度かかるとされており、大病院以外が導入するのは難しい。また、ロボットのサイズも大きく、スペースが必要です。そこで、もっと安価で導入しやすい製品を作ろうと、ロボット鉗子の開発を続けてきました」

 近年導入が進むダヴィンチは、何本もあるロボットのアームが手術を行う。執刀医は、別の装置で内視鏡の映像を見ながらアームを操作していく。このシステムは非常に高度だが、先述の通り、費用やサイズの問題で多くの病院が導入するのは難しい。神野氏の開発したロボット鉗子は、ダヴィンチを導入できない病院が、少しでも高度な手術をするための器具だ。

 まさに、実際に現場で使えるロボットを開発してきた神野氏。最前線で培った経験や知識を、学生たちはそのまま授業で教えてもらうことができる。

神野氏が新たに開発中の太さ7.5mmのロボット鉗子の先端

PCR検査の自動ロボットも開発中
より小さく低価格を目指す

 このほかにも、神野氏はさまざまな医療ロボットを開発してきた。コロナ前には、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学に半年在籍。腹腔鏡下手術の技術を応用し、より小さな眼科用の手術ロボットの研究開発に従事した。また2021年2月からは、新型コロナウイルスの感染拡大が続く中で、PCR検査を自動で行うロボットの研究に着手。この研究課題は、科学技術振興機構の「コロナ対策臨時特別プロジェクト」にも私立大学在籍者で唯一採択された。

「すでにPCRの自動検査システムは出ていますが、その多くは、やはり高額な費用とスペースが必要。全国の検査機関が広く導入するのは簡単でないでしょう。また、今後ワクチンなどで感染者が減少すれば、民間の検査機関は採算が悪くなり、撤退が増えるでしょう。その中で、全国の公共機関が少ない費用負担で持続的に検査できる体制が求められると思います。低コストで大量に検査できるロボットが必要になるのです。さらに、その検査結果を効率的に集約できる情報システム も必要になります。私が研究開発しているPCR検査のロボットは、従来より低価格でダウンサイズし、かつ、検査情報を含めた統合システムを目指しています」

 神野氏が携わってきた医療ロボットは、共通して“低コスト”や“ダウンサイズ”が追求されている。そしてこの技術を学ぶことこそ、ロボットエンジニアを目指す学生にとって最大のメリットだという。なぜなら、低コストやダウンサイズは開発する上で非常に難しく、開発者の腕が問われる場面だからだ。その技術を有すエンジニアは貴重といえる。

「部品を数多く使い、サイズを気にしないのであれば、多様な動きができるロボットは作りやすいといえます。しかし、サイズを小さくするには、より少ない部品で多様な動きを可能にしなければなりません。そのためには、1つの機構で複数の機能を共通化するなどの工夫が求められます」

 なお、神野氏によれば、部品を減らすことは故障しにくく信頼性の高いロボットを作ることにもつながるという。何より、「故障しにくい」という要素は、医療ロボットを作る上で「欠かせないポイントです」と話す。

 医療ロボットは、故障や欠陥が人命に関わる。想定通りに動かない、部品が落下するといった事態は、重大リスクにつながりかねない。それらを避けるには、なるべく故障や欠陥が起きない、もし仮に起きても、致命的な損傷にならない機構を考えるという。

 そのためには、部品を少なくするのに加え、「それぞれの機構が可動した際にどの部分に力が加わるか、そしてその部分に十分な強度が確保されているかを何度もシミュレーションと検証を実施します」という。

「もうひとつ、医療ロボットの難しさは、開発者がユーザーになれない点です。家電やスマホは、開発者みずから使用感を確かめられますが、医療ロボットはそうはいきません。仮想的な評価はできても、最後の使用感や課題は、医師や医療従事者に確認しないとわからない。こういった状況で、故障しにくい、使いやすいロボットをどのようにして作るのか。その技術を学生が知ることは、エンジニアとして大きな財産になるはずです」

製品化を見据えた研究の大切さ
企業経験があるからこそ伝えられること

 神野氏は医療分野のロボットに長く関わってきたが、彼が用いる機械工学のノウハウは、医療以外のロボットにも応用できる。「少ない部品で機構を構築する技術は、さまざまな分野のロボットに活用できるでしょう」と話す。つまり、学生が神野氏から得た知識の使い道は、決して医療ロボットに限らない。

 その上で、神野氏から学生が得られる最大の財産は、最終的な製品化まで見据えたロボット開発のノウハウだ。

「この領域では、たとえ研究によって新しい機構やロボットを開発しても、企業が採用しない(製品化しない)ことが多々あります。研究目的で開発がスタートしているため、そのロボットが、そもそもの現場ニーズや実情、製品化コストに即していないことがあるためです。私が学生に伝えられるのは、そのハードルを乗り越える方法です」

神野氏は「デス・バレー(死の谷)」という言葉を紹介する。デス・バレーとは、研究から製品化へ進む間に、乗り越えるのが難しい大きな谷間(デス・バレー)という意味。ロボット開発にもこの谷は存在する。なぜなら、神野氏が述べたように、研究しているロボットそのものが現場のニーズとずれていたり、コストが高く製品化に向かなかったりするためだ。

 そのデス・バレーを越えるためには、「最初から製品化を見通して研究開発することが必要です」と神野氏。世の中のニーズや、製品化した際のコスト・利益を先読みして開発をスタートすることだ。「私は企業で長く開発してきたため、そういった経験値は持ち合わせているつもりです」。このノウハウは、企業でのキャリアが長い神野氏だから伝えられるものだ。

「多くの学生は、卒業後に企業に就職するはずです。企業に入れば、ロボットやさまざまな装置・システムを製品化するまでが、社員の使命となるでしょう。製品化まで見通した研究開発の術を教えられることが私の価値であり、他では容易に学ぶことができないと思っています。大学教授の中で、製品化の経験を持つ人は決して多くありませんから」

 そうして、神野氏のもとで学んだ学生が、やがて「社会課題の解決に寄与するロボットを開発してくれたらうれしい」という。少子高齢化による人手不足など、ロボット技術によって解決が期待される領域は幅広い。大切なのは、「つねに自分の専門知識をどんな社会課題に活かせるか考えること」だと神野氏はいう。

 企業の開発者から大学・大学院の教授となった神野氏。彼のもとで学ぶ学生たちは、製品化につながる研究開発ノウハウを得ることで、きっと企業の戦力になるだろう。


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