カレー沢薫の「部屋とお金と私」

「顔、頭、センスがよくない」ならば、最終的勝利を目指せ!

 3回にわたり「お金」をテーマにコラムを書かせてもらうことになった。

 しかし私はネット広告でよく見る「1年で貯金100万の目標を立てることに成功!」とか「FXで旦那の年収を倍溶かしちゃいました!」という、いわゆるお金に強い主婦ではない。

 むしろ、私が主婦などと名乗ると、松居棒で袋叩きにされるので、名乗る時は「無職」と言っている。それも金にだらしない方の無職だ。

 何故、ここに呼ばれてきたのか既に疑問だろうが、「金にだらしなく、『貯金、節約、老後』というワードを聞くと、瞬時に鼓膜が爆発して病院に駆け込む手前のコンビニで治療代を全部使い果たす側の人間として、老後や貯蓄について語ってほしい」、ということだ。

 「何のために」と思ったが、こういう失言こそが、原稿料という名の小銭を失う要因である。さっそくメモっておこう。

 第一回目のテーマは「『老後に備えよ』とは言うが、そもそも老後前に死んじゃったら意味ないので、若いうちにパーっと使いたいという欲望について」である。

 確かに「人生100年時代」とは言っても、我々人間は、死ぬまで殴れば今日にでも死ねてしまう貧弱な生き物だ。本当に「老後」が来るとは限らない。

 そんな来るかわからない物のために我慢して、今死ぬまで殴られて死んだら損でしかないではないか、という考え方もある。

 しかし、こういう反論をしてくるタイプはどんな美人を見ても「性格キツそう」、「体幹が悪い」など「絶対に相手を認めない」というガッツを持っている場合が多い。
 つまり「タフ」なので、100歳どころか180ぐらいまで生きる可能性がある。むしろ常人よりも老後について考えないとヤバい。

 確かに、電気コードをまたぐのに失敗しただけで死ぬようなジジイババアになった時のために、若い時間を費やすというのは「虚しい」としか言いようなく、貯蓄のモチベーションも上がらない。

 だが「だったら今パーッと使っちまえ」となってしまうのは、ポジティブシンキングではなく「自暴自棄」である。

 自棄になると、今持っている金だけではなく、魔法のカードや、銀行のではないATMから出てくる「未来の金」、さらには「暴力が得意な方が関わっている金」まで使ってしまう恐れがある。

 そうなると「多額の保険金をかけた後に、不慮の事故死」などが起こり、望み通り「若いころパーっと使って、老後が来ない」という理想的な人生が送れるのだが、それで本当に良いのか? という話である。

 確かに老後が来る前に死ぬ可能性はあるが、誰もが「即死」などというスイートな死に方が出来るわけではない。
 若くして死ぬとしたら、事故や病気だが、そうなると治療、闘病が必要な場合も多く、それこそお金が必要になってくるのだ。
 それがないことにより、長く苦しんだり助かる命が助からないことだってある。

 つまり、長生きしようが早死にしようが、金をパーッと使っていいのは「この日、一瞬で蒸発して死ぬ」とわかっている人だけである。

 よって、明日一瞬で蒸発にワンチャンかけて金を使うなどという、自暴自棄状態からは脱し「貯蓄」という発想が生まれるよう、まずモチベーションを上げていかなければならない。