大津波が来た。尊い命が失われ、原発のメルトダウンが迫った。
そんな中で、日本人の強さが発揮されている。死を覚悟して原発の冷却や復旧に当たる作業員や自衛隊・消防の方々、原発避難指定区域にとどまってお年寄りの命を必死で守る医師や看護師や介護士の方々、親が行方不明でも避難所で率先して働く子供たち、自ら被災しながらも無料で温かいラーメンを出す店主さん。ボランティアの希望者が全国で殺到している。献血には、長蛇の列ができていた。
52年生きてきて、我々日本人がこんなに一つにまとまるのは初めてだ。必ず、日本は復活する。そう、確信した。
残された我々は、未曾有の国難を乗り越えて、新生日本を作らなくては、犠牲になった方々に申し訳がない。
我々にはできる。この国難を解決する2つの潜在力があるからだ。そして、2つの潜在力を結びつけたときに、日本は、人間の問題を解決するナンバーワン国家に生まれ変わる。
では、どうすれば、新しい日本を作り出せるのか。そのためには、まず、今の国難の本質を見極めなくてはならない。歴史がその手掛かりを与えてくれる。
大地震のあとの1週間、富士は白く輝いていた。われわれの苦しみと頑張りを見守っているようだ。勇気を出し、助け合い、知恵と力を出そう。
歴史は繰り返すのか?
「巨大津波のあと、大洪水が襲う」
昨年10月、拙著『ジャパン・ショック』の第1章をそう始めた。本当に起きた大津波がもたらす国難によって、日本人だけでなく、この地球に生きる人間が共通して直面する危機の本質が明らかになった。
歴史は繰り返すのだろうか?
1853年、ペリーが率いる4隻の黒船が浦賀沖に現れ、幕府に開国を迫った。大砲をずらりと備えた巨大な黒船の出現に、江戸の町は火の海になるのではないか、と大騒ぎとなった。
いったん黒船が引き揚げた翌年には、東海(M8.4)・南海(M8.4)豊後と愛媛(M7.4)の大地震が続けざまに大被害をもたらし、翌1855年には安政の大地震が江戸を襲った。
黒船と大地震という国難が、太平に慣れていた幕末の日本人を覚醒させた。大地の殻が破れたとき、日本人は古い殻を破ったのだ。