今週の日曜に放送された読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」で、ちょっとハプニングがあった。私がチェルノブイリ原発事故について説明したとき、竹田恒泰なる人物が「事故で5万5000人死んだ」というデマをくり返し叫んだのだ。
私はこれが嘘であることを収録後、読売テレビに伝えたが、彼らはそれを無視して放送した。このように視聴率を稼ぐために嘘でもいいから面白い情報を流すのが民放だが、彼らは見かけほど楽しんで番組をつくっているわけではない。
プライドを捨てて「顧客志向」になった民放
NHKに勤務していたころ、民放の社員と話すと「商業主義」という言葉がよく出てくるのにうんざりした。ワイドショーが低俗なのも商業主義、ニュースの情報がいい加減なのも商業主義、というように番組の質が低い言い訳に使われているのだ。
民放は就職偏差値が高く、高学歴の企業である。一流大学を出た彼らも、本当はNHKのような正論を述べる番組をつくりたいのだが、現実は逆に動いている。テレビ(特に民放)の視聴者はコンピュータやスマートフォンを使えない老人や主婦に片寄る。この結果、ワイドショーやバラエティが増えた。その結果、番組がますます低俗になり、このためにまともな視聴者が離れる・・・という悪循環になっているのだ。
これはよく言えば、テレビ局の社員がプライドを捨てて顧客志向になったとも言える。昔は民放でも深夜に社会派ドキュメンタリーをやっていたが、このごろは広告収入が落ちてコスト削減の圧力が強まっているので、そういう贅沢はできない。
民放の番組のほとんどは下請けの制作プロダクションが企画するが、あるプロダクションの社長は「このごろ企画は、社員ではなく孫請けのAD(アシスタントディレクター)に書かせる」という。なるべく物を知らない若者に合わせ、バカな番組をつくるためだ。
番組をつくるとき一番むずかしいのが、どういう視聴者を頭に描いてつくるかである。これを経済学の立地モデルで考えてみよう。たとえば競合関係にある2店の海の家が東西にのびる海岸に開店するとき、どこが一番いいだろうか。