トルコのデモに驚いていたら、今度はブラジルだ。デモの主力は、教養のある中産階級、つまり、学生や若い知識人たちのようだ。
「サッカーのワールドカップやオリンピックにお金をかける前に、税制や健康保険制度を改良しろ、政治の腐敗をなくせ、教育を充実させろ」などと、徹底的な構造改革を叫んでいる。すべてもっともであると思う。
テレビでは、大統領が事態を収束するために一生懸命しゃべっていた。
それを見ながら一瞬、「こんな近所のお洒落なオバちゃんみたいな人が大統領をやっているから、こういうことになるのよ」と無知な私は思ったが、調べてみたら、ジルマ・ヴァナ・ルセフ(Dilma Vana Rousseff)大統領は、1960年代の軍事政権時代に武力闘争に参加し、秘密警察につかまって拷問されたこともある強者(つわもの)であった。すみません(反省)。
南アの発展に少しも寄与しなかった2010年のワールドカップ
私がびっくりしたのは、しかし、それだけではない。デモをしている人たちが、オリンピックの開催を手放しで喜んでいないという事実だった。私は、開催地の誘致合戦がたけなわだった当時、オリンピックなどという世界の注目を浴びるイベントは、新興国でやればよいと思っていた。
こういう大きな祭典は、それを機会にインフラが改善され、国の発展のための起爆剤になる。60年代の半ばから、日本国が目を見張るほどの経済成長に突き進んでいった原点は、まさしく1964年の東京オリンピックではなかったか。
あのとき造った新幹線と首都高速は、その後の日本の発展にどれだけ役に立ったことか。だから、そういうチャンスは先進国が横取りせず、新興国にあげるべきだと、信じていたのだ。
しかし、冷静に考えてみると、その理論は1960年代には正しかったかもしれないが、今ではどうも正しくないようだ。当時、日本経済がオリンピックを機に発展したのは、おそらく、ちょうど日本がそういう時期に差しかかっていたのだろう。だからこそオリンピックは、上り坂にいる日本国の追い風となっただけではなく、私たち国民に夢と希望まで与えてくれた。
ところが、今は様子が違う。例えば、2010年のサッカーのワールドカップは南アフリカで開かれ、新スタジアムが造られた。その多くのスタジアムは今、何の役にも立っていない。