サンフランシスコのミッション地区は南米からの移民が多く、まるで公用語のようにスペイン語が飛び交うエリアだ。かつては低所得者層が集中して治安が悪かったが、5~7年ほど前から若者が住み着くようになり、個性的な店やお洒落なレストランが続々と開店している。NPO(NonProfit Organization)やデザインオフィスも越してきた。ラテン文化とトレンドがミックスした、活気あるクリエイティブなコミュニティーをつくっている。

 そんなミッション地区の中心部で、日本人の若者2人が日本の食文化の発信を始めた。「おいしくて、健康的で、便利な日本の食べ物・おにぎりを、アメリカに広げよう」と意気込んでいる。

おにぎりパーティーで、アメリカ人の好みを調査

兼松光次さん 島根県出身 32歳長谷川幹さん 福岡県出身 32歳

 兼松光次さん(32)と長谷川幹さん(32)は2008年の2月、サンフランシスコで出会った。全世界で1500万部も売れたビジネス書『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー著)が共通の愛読書だったことから意気投合、毎週のように勉強会を開き、「志」や「生き方」について語り合った。

 ある時、「おいしいおにぎりが食べたいなぁ」「お寿司はこんなに人気があるのに、なんで、おにぎりは知られていないんだろう」という話題になった。

 兼松さんは早稲田大学在学中からIT関連のベンチャー企業で働き、渡米後はインターネットシステムの開発会社のCEOを務めていた。長谷川さんはロサンジェルスの大学で景観建築を学び、卒業後は建築関連の仕事に就いた。しかし、カフェ経営の夢を諦めきれず、サンフランシスコの有名カフェのオーナーに弟子入りして仕事を学んでいた時期だった。

 そんな2人とって「サンフランシスコでおにぎり屋を開店しよう」というのは自然な流れだった。「最初から、フランチャイズで500店舗を出そう、と勢いだけはあった」と2人は振り返る。

 目標は「アメリカ人に食べてもらえるおにぎり」。梅干、明太子、おかかなど、日本でお馴染みのおにぎりをいきなり出しても、受け入れてもらえないことは明らか。どんなものならウケるのか。2人は毎週のように「おにぎりパーティー」を開いて、友人知人にありとあらゆる創作おにぎりを食べてもらい、独自の市場調査をスタートした。

 和食は健康食として一定の認知をされているだけあって、多くの人がおにぎりという食べ物自体には好感を持ってくれる。ただ、いくつかクリアしなければならないポイントがあることに気がついた。

 ── 未知のものを口に運んでもらうには、見た目が大事。
 ── 健康志向を強調するために玄米を使う。
 ── 中に何が入っているかが分からない不安を解消する。
 ── レストランなどで出される手巻き寿司と同じぐらいのサイズにする。

寿司と差別化、カラフルな大豆ペーパーでアピール

カラフルなソイペーパーで巻いて寿司と差別化。海苔が苦手なアメリカ人も、これなら大丈夫!

 知恵を絞り、最後は知り合いのプロのシェフに協力してもらって、約20種類のオリジナルおにぎりを開発した。真っ黒な海苔には抵抗感のある人もいるし、寿司との差別化を図るため、大豆でできたカラフルなソイペーパーで巻いた。「カリフォルニアフュージョン(=無国籍料理)のおにぎり」というコンセプトに沿って、商品名は、「onigiri」ではなく「Onigilly」として商標登録を取得、会社も設立した。

 2008年夏、長谷川さんは、働いていたカフェで、開発した自信作をテスト販売したいと考えた。オーナーを口説いたところ、「1カ月だけなら」としぶしぶ了承してくれた。カフェにはアジア人がほとんど来ないし、飲み物メニューはコーヒーや炭酸飲料などのジュースばかりで、おにぎりと相性がいいとは言えない。ハードルは高かった。

 「これ何?」と不思議そうに手に取るお客さんに、「僕が作ったおにぎりです。試してみて下さい」と勧めた。期限の1カ月後には、店の定番のペストリー(甘い菓子パンのようなもの)と同じぐらいの数が売れるようになっていた。買ってくれた人の年代、性別はばらばらだが、「おにぎりやめちゃったの?」とがっかりするほど、おにぎりファンもできた。