3.11前、福島第一原発周辺の市町村は事故時に備えてどんな避難計画を持ち、どんな訓練をしてきたのか、述べてきた。ここでいったんまとめておこう。

(1)国は、原発を中心に8~10キロの円(EPZ=計画的避難地域)の内側しか避難の想定をしていなかった。

(2)つまり10キロを超えて放射性物質が広がることを予測していなかった。

(3)しかも、避難訓練が行われていたのは原発から3キロ圏内でしかなかった。

(4)上記(3)に該当するのは大熊町(人口約1万1000人)と双葉町(同6400人)である。うち大熊町には国交省がバス70台を送り込み、12日の1回目の水素爆発の約30分前に町民は避難した。

(5)しかし双葉町にはバスは5台しか来なかった。町民はばらばらに自家用車で避難した。最後に残された「双葉厚生病院」の入院患者・職員約300人がバスに乗り込もうとしていたときに1回目の水素爆発が起きた。井戸川克隆町長ほか多数が「断熱材のような」降下物を浴びた。

(6)年1度の訓練も「訓練というより演劇」(双葉町・井戸川町長)でしかなかった。東京とのやり取りのセリフや当日の風向きまで筋書きが前もって決まっている。「電源を喪失したが、バックアップ電源が作動して原子炉は平常に戻る」という設定だった。午前中に始まって昼頃には終わる。

(7)上記(1)に該当する富岡町には、バスなど避難の交通手段の手配はなかった。避難先や距離、方向の指示は国からも県からもなかった。いったん20キロ線ぎりぎり外の川内村に避難したが、そこも危険になり再度埼玉県へ避難した。

(8)この「20キロ」は国が想定していた事故の最大予想値だった。それ以上の拡大を予想していなかった。

(9)飯舘村と南相馬市に至っては、原発災害の当事者になるという予想が村・市にも国や県にもなく、訓練は行われたことがない。計画もなかった。

(10)国には「原発から半径20キロより外側に放射性物質が飛散する」という想定はなかった。つまり20キロラインから外側には何の備えもなかった。

原発事故・災害時の対策は国が指揮を執る

 ここまでのJBpressの記事では書いていないことも、原子力防災の責任の所在をクリアにするために付け加える。