1972年5月15日に沖縄が日本へ返還されてから今年で40年。普天間基地の移設をはじめとする基地問題は、いまも沖縄と日本を揺り動かしている。特に迷走する政策に沖縄の国に対する不信感は増している。

 アメリカ太平洋軍のウィラード司令官は、先日の日本人記者団との会見で、普天間移設の遅れの懸念を表明すると同時に、このほど行われた内閣改造について「これだけ頻繁に改造が行われると、政策の継続性を保つ上で問題になってくる」と述べた(毎日新聞・1月13日夕刊)という。

 一川保夫前防衛相が自分を「安全保障は素人」と発言するなど、移設の可否や基地をどこへ移転させるべきかといった議論の前段階で政府は不毛な時間を費やしている。人選といい頻繁な交代といい、あまりにも沖縄をめぐる問題の重要性を認識していないと思われても仕方がない。

 沖縄の歴史を知り、沖縄が、戦後アメリカそして日本との間でどういう道を歩んできたかは、日本人として知っておくべきで、まして政府要人は頭のなかに入れておいてもらわないと、2国間で翻弄される現地はたまったものではない。その意味で、沖縄県公文書館の役割は貴重で、もっと広く知られていいはずだ。

沖縄返還協定に存在した「裏取引」

 つい先日、沖縄返還をめぐる日米間の密約問題を背景にした山崎豊子原作のテレビドラマ「運命の人」がスタートした。

 国民に知らされることのない“裏取引”が返還協定についてあったという事実は、あとになって明らかになるが、それを裏付ける証拠(文書など)は、アメリカ国立公文書館(National Archives and Records Administration=NARA)など、情報開示の進んだアメリカ側から出てきている。

 沖縄県公文書館では、数年にわたってNARAから戦中・戦後の沖縄に関する資料を収集してきた。このなかには、密約を裏付ける文書も含まれているなど、沖縄問題を考える上での貴重な記録が含まれている。

沖縄県立公文書館の入り口

 那覇市の首里城から南に2キロほど下った県道沿いに、沖縄らしい赤茶色の瓦屋根が目を引く、沖縄県公文書館がある。先月、東京がぐっと冷え込み始めたころ、上着を1枚羽織るくらいがちょうどいい気候の沖縄を訪れるなかで半日公文書館へ立ち寄った。   

 一般に公文書館は、行政文書や古文書などその地域の歴史や文化を知る上での文書などの記録を整理し保管しておくところで、国には国立公文書館があり、都道府県別でも公文書館を設けているところがある。

 沖縄の公文書館はその1つだが、他の地域と内容面で独特なのは、先の戦争との関係、そして戦後のアメリカ統治との関係の記録を整理し記録しておくことを大きな使命としているところだ。