今回からしばらくの間、このコラムは1つのテーマに関して、2人の書き手がそれぞれの視点からの観察と蓄積と分析の結果を書き綴ってゆくことにしたい。
そのテーマとは「トヨタ『再建』への処方箋」。
そして2人の書き手とは、私と、旧知のジャーナリスト、牧野茂雄氏である。
牧野氏は、自動車とその産業、その社会を継続的にウォッチングして、その姿をいろいろな角度から描き出す、という意味では、私にとって唯一「信頼に足る」観察者であり、分析者であり、書き手である。
私自身はこれまでのこのコラムからお分かりのように、主に技術面から、それも何よりプロダクツそのものをまず体験して分析するところから、様々な事象を掘り起こしてゆく。
それに対して、牧野氏は、市場、経営、財務、組織などの取材と分析から、今起こっていること、これから起こり得ることを描き出してゆく。しかも2人とも、「ものづくり」そのものを理解したいという思いの強さは共通している。
つまり、この2人の視点はハードとソフトの両側からのものであり、そこから自動車産業の「昨日・今日・明日」の実像を描き出すことができる。さらに、自動車が今日の工業文明と消費社会の中核をなす存在であるがために、他の様々な分野にもその観察と分析の結果を敷衍(ふえん)し、展開することが可能である。
大量リコール問題は氷山の一角
その2人にとって、このところ何より気がかりなのは、トヨタ自動車であり、日本の自動車産業である。
米国に始まり、日本、さらに欧州、中国など世界各地に「燃え広がって」いる大量リコール問題ひとつとっても、トヨタ自身が語り、一般のメディアが曖昧に伝える「個別の品質問題」と「顧客視点の不足」程度の話で片づけていいものではない。
そもそも、そこで安直に語られている「品質」とは何か。それすらも具体的に理解されているとは思えない。メディアと、その情報を受け取って考える人々はもちろんだが、トヨタの人々においてさえ。
今、現れている一連の状況は、トヨタのものづくりシステムの各所に生じている「ほころび」や「劣化」の氷山の一角が目に見える形で現れたものだ。同時に、企業として、組織としての「劣化」や「弱点」、すなわち、今のトヨタほどの規模と影響力を手にした世界企業が持っているべき資質の欠如が露呈したのである。しかも、私と牧野氏の分析と実感に照らせば、それはまさに「氷山の一角」にすぎない。
そして、そこに浮かび上がる危機の淵は、トヨタだけの問題ではない。
「いまさら」の話ではあるけれども、「経済大国・日本」を築き、今も支えているのは、間違いなく自動車産業なのであって、その弱体化や衰退は、今の、そしてこれからの日本のあり方はもちろん、我々の生活そのものにまで直接影を落としてくる。
今後何十年かをかけて「産業構造の変革」を進めることはできるだろう。少子高齢化の進行もあって、将来に向けて日本の社会と産業を新しい形へと組み替えてゆく必要に迫られてはいる。しかし、それは一朝一夕には進まない。やはり自動車を中心とした「ものづくり産業」「技術立国」を基盤に「今日から明日へ」を生きてゆく以外、日本の、そして我々の道はない。