言葉は社会の鏡である。ここ数年ことあるごとに痛感する。格差は広がり雇用は不安定になり、自殺者や心の病に悩む人のことがよく報じられる。いまの社会はふつうに働いている人たちがピンチに陥ったとき、優しいとはとても言えない。

 しかし、言葉だけはその反対というか、この心寒い世相をごまかすかのように、妙に丁寧になり、過剰とも言える“敬語”が使われている。それを政治家や企業のトップ、あるいはマスメディアに登場する地位の高い人たちが当たり前のように発している。

 ひと言で言えば、「慇懃無礼」な言葉や表現が、まさに社会の鏡として蔓延している。改めて慇懃無礼の意味を辞書で引けば、「表面の態度は丁寧だが、心の中では相手を軽く見ていること。また、そのさま」(大辞林より)となる。

 これまでにも何度か、こうした現象についての違和感を記事にしてきたが、「3.11」の大震災を経て、これはぜひもう一度問題として提起しなければならないと感じた。そのきっかけは「ご被害者のみなさまへ」という言葉を目にしたからだ。

「ご被害者のみなさまへ」

原子力損害賠償支援機構法が成立、東電本社前ではデモ

東京電力前で抗議する福島県の農民〔AFPBB News

 東京電力が福島第一原子力発電所の事故によって被害を受けた多くの人たちに対して損害賠償請求の申請書を送った際に、まず挨拶として始めた言葉が「ご被害者のみなさまへ」である。

 この請求書類は、被害者が記入する請求書が60ページもあり、これを156ページにも及ぶ説明書を参照しながら記載していく煩雑な様式になっていて、普通の人が処理するにはかなりの時間と労力を必要とするだろうことは一目瞭然である。

 被害に遭って日々の暮らしすら平穏におくれず、加えて再起に向けてやるべきことは山ほどある人たちの仕事量を考えたら、この書式は配慮に欠ける、という各方面からの批判が噴出したのは当然だった。

 また、いったん申請の後は「異議申し立てをしない」という約束を求めていた点も傲慢であると同様に批判を受けた。

 これらの批判を受けて、さっそく東電は新たな補足資料を作ることや高齢者には直接訪問して説明するといった改善案を出したが、果たして本当に被害者の置かれた状況に想像力を働かせているのかどうかといえば疑問である。

 「ご被害者のみなさまへ」という言い方はそれほど重く、企業の体質を表していると言いたくなる。言葉尻をとらえているのではない。これこそまさに「表面の態度は丁寧だが、心の中では相手を軽く見ていること。また、そのさま」が、形になって表れている。