甲子園の季節がやって来た。各地区大会の代表校はいま続々と甲子園に集結しつつあるはずだ。“一将功成りて万骨枯る”ではないが、勝ち残った実力高の後ろには何千という数の高校野球部が悔し涙を飲んでいる。

兵庫県大会で「71対0」の試合

122‐0を報道する当時の新聞

 その中には、過疎地にあって部員の獲得もままならないどころか、学校の存続さえ危ぶまれる弱小野球部がある。

 甲子園に出場できるような高校とこうした弱小高との格差は、野球の力の差であるとともに学校間の格差でもある。さらに言えば、それは都市と地方の格差にも通じる。

 こうした格差は何よりも点差に表れる。今年も兵庫県大会で「71対0」という試合があって話題になった。とはいっても、力の差がそのまま点差に表れるとは限らない。

 力の差が歴然としている場合、強者は途中からバントを多用し、点は取ってもアウトカウントを増やすという“省力”野球によって無難な点差でゲームを終了させる。

 また、ルールによって、現在は5回以降10点差、7回以降7点差がついた場合は途中で試合を終了することになっている。したがって今日では大量の得点差は生まれにくい。

前代未聞だった青森県大会の「122対0」

 しかし、13年前の1998年夏、甲子園では松坂大輔を擁する横浜高校が劇的な優勝を遂げた第80回全国高等学校野球選手権大会の青森県大会で、県立深浦高校と私立東奥義塾の試合は、「122対0」(7回コールド)という前代未聞のスコアを記録した。

 この当時は7回以降7点差でゲームは終了、言い換えればどんなに点差は開いても7回までは続ける規定になっていたが、この試合を契機にルールは見直され全国一律になった。

 問題の試合の中身はというと、先攻の東奥義塾は初回に39点を上げ、以後毎回2ケタ得点を重ねて122点を奪取した。その安打数は86、四死球は33、盗塁にいたっては76という数を記録、試合は3時間47分にわたった。

 スポーツ紙は1面でこの珍事を掲載、一般紙でも大会主催の朝日新聞が1面、他紙でも社会面で掲載された。地方大会の初戦がこれほどの扱いを受けたことは後にも先にも例がない。