途絶えかけている地域の伝統料理を、レシピ投稿サイトでアーカイブ化する。そんな斬新なプロジェクトが、東京の有人離島の一つ、御蔵島で展開されている。その先に見据えるのは、同島への郷土愛を醸成し、Uターン者や島に残る人を増やすことだ。すでに島では、滞留した空気の澱(おり)が、動き始めている。果たして郷土料理の発掘が、どのように地域活性につながるのか。プロジェクトを担う、井上日出海さんに聞いた。
物流の発展で、郷土料理を作る家庭が激減
井上さんは一度島を離れて戻ってきた「Uターン移住者」であるという。林業を営んでいた曽祖父が三宅島から同島に移り住んだことが始まりで、井上さんのご家族は代々御蔵島で暮らしている。そこから4代目にあたる井上さんは同島で生まれ育った後、内地の高校、そして国立短大へと進学。卒業後はそのまま内地で就職した。その約1年後、港湾業務で欠員が出た島から呼び戻される形で、21歳の時に帰郷。それから14年が経過した現在、島の港湾業務を一手に担う会社「御蔵島マリン」の代表取締役を務める。
そんな井上さんが進めるのが、冒頭の取り組みである。正式名称は「御蔵島郷土食材・料理を持続可能な仕組みで後世へ伝承していくプロジェクト」。こちらは東京の島しょ地域のブランド化を図る東京宝島事業として進めているもの。プロジェクトのスタートは、2021年。なぜ地元の郷土料理をテーマにしたのか、井上さんはこう振り返る。
「最大の理由は、もっとも緊急性の高い課題だと感じていたからです。私たちが子供の頃は、このサイトで挙げているような料理を、日常的に食べていました。ところが船便や物流の進化で、島外のものが手に入りやすくなったことで、近年は手間のかかる郷土料理を作る家庭が大幅に減りました。美味しくて手軽に食べられるものが、他にいっぱいある状態になっていたのです。さらに郷土料理の作り方を知っている高齢の島民が亡くなったり、もう作らなくなってレシピを覚えていなかったりで、すでに途絶えてしまった料理もあります。だからこそ今レシピ化を進めないと、10年後には大半が再現できなくなってしまうだろうなと思っていました」
内地から離れた小さな離島で物流が極めて乏しかった同島では、自然の恵みを長く食べつなぐ、保存の効く料理が発達した。代表料理には、以下のようなものがある。
・アブラアゲ…粉にしたもち米を水で練り、椿油で揚げたもの。毎年1月に島を訪れる「忌の日の明神様」は、アブラアゲを捧げていない家を蹴飛ばして壊していくとの言い伝えに則り、毎年1月24日に作る。
・「どぶ漬け」…同島では手に入らない糠(ぬか)の代わりに、米の研ぎ汁と残ったご飯で漬けた漬物。
・芋餅…サツマイモともち米で作る甘いお菓子。
なおこれらの料理は保存の効くものが多いことから、同プロジェクトにはもう一つの狙いがある。それが災害時の備えだ。
「もし世紀の大災害が起こった場合、離島である以上、救援物資が数ヶ月こないことも想定されます。その時、いかに食料を保存し、お腹を満たすか。その知見が、郷土料理には詰まっています。そうした観点からも、失ってはいけない文化だなと」
読むだけで古き島の風景が立ち現れる
このようにして始まった、郷土料理を次代へつなぐプロジェクト。とりわけユニークなのは、料理のアーカイブを、日本最大のレシピ投稿・検索サイト「クックパッド」で行ったことだ。これであれば、わざわざ本の出版や印刷などを行わずとも、レシピを手軽にアーカイブできる。そして、誰でも簡単にスマートフォンやタブレット、パソコンでアクセスでき、実際に料理を作れる。そこにこそ、同プロジェクトが「持続可能」をうたう一因がある。
一方で埋もれた郷土料理を掘り起こし、作り、レシピにまとめる作業は、リアルの世界で行う必要があった。
「まずは80代を中心とした、島の食事情をよく知る島民数名に話を聞きました。お話は料理の作り方はもちろん、当時の島の暮らしぶりや歴史などのさまざまな昔話にまで広がり、3〜4時間に及ぶこともしばしば。こういった機会がなければじっくり伺えないお話だけに、大変おもしろく聞かせていただきました。その話をベースにしながら後日、実際に料理を作り、レシピ化する作業に移りました。料理を担当したのは、60代を中心とした島民女性たち。それをレシピ化し、サイトに投稿するのは、若い世代の島民6名が担当しました」
加えて、島の若い世代にも広く興味を持ってもらえるようにと、プロジェクトには料理研究家も参加し、かぶつ(ダイダイとも呼ばれる柑橘系の果実)、明日葉、ヨモギといった当地の定番食材を使ったアレンジレシピもサイトに上げていった。たとえば、かぶつのスカッシュや、明日葉ジェノベーゼ、ヨモギ大福などだ。
このようにして、何もしなければ数年後には多くが途切れてしまったであろう伝統食を、島民自身がWEBとリアルを組み合わせながらアーカイブ化した同プロジェクト。現在、同島の郷土料理18種、郷土お菓子6種、特産食材を使ったアレンジレシピ27種がサイトにアップされている。各レシピには食材の入手方法や、いつどのように食べられていたのか、島の特異な風習なども書かれていて、読むだけでも往時の島の風景が立ち現れる。
果たして、こうした取り組みにより、島には何がもたらされるのか。
“ここでしか味わえない体験”が島を活性化
井上さんは、こう語る。
「もちろん島外の人に広く見てもらえたら嬉しいですが、実は一番の対象としているのは、島に暮らす若い世代の方々です。島出身の方との結婚をきっかけに島に来られた方も多くいらっしゃいますが、そうした方々に島の郷土料理を食べてもらいたいんです。そして、さらにその子供世代にも引き継がれていったら嬉しいです」
根底には、島の人に郷土愛を育んでもらいたいという思いがある。
「どうすれば、島へUターンする人や、島に残る人を増やせるか。それには、子供時代から“御蔵島ならではのユニークさ”に触れることが、重要だと思います。だからこそ島にいるうちに自然や風土、文化など、御蔵島でしか味わえない物事に、少しでもたくさん触れてもらいたい。あわせて、そうした『御蔵島で暮らしたいと思うきっかけになり得るもの』を、1つでも多く残しておきたい。郷土料理は、その柱の一つなのかなと思っています」
実際に今回の取り組みに際して、島民からはこんなフィードバックがあった。
「まず参加者から出たのが、懐かしい!との声です。『昔よく食べていたよなー』と。話を聞きにいった80代のおばあちゃんたちも喜んでくれ、『今、こんなことをやっているんだよ』と年配の島民の間で話題にしてくれたようです。そして何といっても嬉しかったのが、プロジェクトをきっかけに、実際に郷土料理を作ってくれた人が何人もいたことです。私の会社では島民への配送業務も行っているのですが、1日の配送で何軒もの家から配送員がヨモギを使った季節のお菓子『はやき』を頂いてきたことがありました。また、親子で初めて郷土料理を作ってみたとの話も聞きました。さらには、小学校で郷土料理のことを学ばせたいので協力してほしいとのお話も頂いています。そうやって、まだ断片的ではあるものの、取り組みが少しずつ形になっていることを実感しています」
こつこつ上げていった郷土料理および郷土食材のレシピは計51にのぼり、それをいつでも誰でも見られる形となった。
井上さんは今後もさまざまな形で島と島民、あるいは島民同士をつなげる取り組みに携わり、島を活性化させていきたいと話す。郷土料理の発掘とWEBアーカイブ化により起こった新風が、10年後・20年後にどんな「うねり」に育つのか、楽しみにしたい。
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