東京にある人々が暮らす11の離島の内の一つ、御蔵島。ここでは島民が支えあって暮らしているが、人材不足に悩む場面も少なくないようだ。たとえば主要な行政機関の一つである村役場においては、離職者が続いてしまった年もあるという。島外からやってきて、様々な仕事に携わりながら定住するⅠターン移住者も中にはいるようだが、その現状はどのようなものか。イルカウォッチングの聖地として知られる御蔵島の現状と、この島に根を下ろす人たちの暮らしぶりを取材した。

島を支えるⅠターン移住者

 御蔵島は都心から約200キロの距離にあり、人口は約300人程度だ。
 ※:御蔵島役場のHPより

御蔵島の居住地域

 内地から距離があり、かつ冬場は天候状況でフェリーが着岸できないこともしばしばで、その“離島”感は色濃い。そんな御蔵島を支える村役場は人手不足に直面している。行政機能を存続させていくためには、解決すべき重要な課題である。

 とはいえ、働き手が役場に集まらないわけでは決してない。欠員募集をかければ、イルカのイメージや離島人気もあってか、募集枠の何倍もの応募者が集まることが常。ところが離職者が少なくないのが現状だ。

 そんな御蔵島村役場に、8年ほど前に赴任したのが、同役場総務課で働く磯山巧さん(30)だ。

御蔵島村役場 総務課 総務・民生係 磯山巧さん

「私は関西出身ですが、東京で仕事に就きたくて就職活動をする中、御蔵島村役場の募集を見つけて何の気なしに応募しました。その後、内定をいただき、せっかくだからと2〜3年働くつもりで島にやってきましたが、正直、はじめは島についてはそこまで詳しくありませんでした」

 磯山さんの業務は、多岐にわたる。メインは、国民健康保険や介護保険、後期高齢者医療の対応など医療・福祉に関する業務。ただ、他にも廃棄物焼却場の管理、村議会の事務局業務、あるいは島内で急患が出た際の診療所への搬送、台風時に役場へ詰める業務等々を担う。

 さらには役場の仕事とは別に島の交通安全協会の役員として、内地から島の自動車の検査を行いに来る検査官の受け入れ業務をボランティアで行う。

「役場に島民が訪れても、様々な業務で外出や離席する職員が多く、無人の窓口の前でお待たせしてしまうことがよくあります」と磯山さんは申し訳なさそうに話す。

 一方で磯山さんは、御蔵島の役場ならではのやりがいも感じている。

「いろいろな仕事に携わる人と関われるのが、面白いところです。また小さな離島ということで、島民の生活と密接に関わっている点もやりがいです。島民の方からさりげなく『ありがとう』と声を掛けてもらったり、あるいは最初は物静かだった人とだんだん距離が縮まり打ち解けられるのは嬉しいですね。だから、仕事には愛着をもって臨んでいます。愛着があるからこそ、続けてこれたのかなと」

 そして役場が現在抱える課題の解決策については、こう語る。

「結局私たちができることは、1人でも多くの職員が続けたいと思える職場環境を作ることに尽きます。それを前提としながら、今後は島をよりいい形に変えていこうとする島民の方と、積極的につながっていきたいなと。ぜひ役場だからこその形でお力添えしたいです」

「イルカ」「木」「船」の3業務を掛け持ち

 では、役場以外の仕事の人手状況はどうなのか。そこで話を聞いたのが、磯山さんと同じⅠターン移住者の、大森航平さん(46)だ。

御蔵島村産業センター 大森航平さん(写真左)

 大森さんは「シリウス」の屋号でイルカウォッチングの船頭を務める他、そのオフシーズンは島の産業センターで木材加工、および港の桟橋でフェリーの着岸を担う業務に携わる。御蔵島では、こうして複数の仕事を掛け持ちするのが当たり前だ。

 大森さんが御蔵島に移住したのは、20代半ばのこと。離島やイルカが好きで三宅島と小笠原で働いた後、御蔵島で知り合ったイルカウォッチングの船頭から誘われ、2003年に移住してイルカウォッチングのガイドに。そして3年後、自ら船を買って独立し、船頭となった。御蔵島での生活は、今や20年に及ぶ。移住後に3人の子供をもうけ、年長の子供は中学生になった。

 そんな大森さんは、御蔵島の人手不足についてこう話す。

「まずイルカウォッチング産業に関しては、今のところ船の数はおおむね維持できているものの、船頭の高齢化が進み、この先は今の規模を維持できるか心配です。また、各船に最低1人つくガイドも、最近は集まりにくくなっている。一番の理由は、年間の仕事ではない点にあります。イルカウォッチングは毎年3月中旬から11月中旬まで行われ、それ以外はオフシーズンです。やっぱりイルカのガイドが目的で来る人にとって、4~5ヶ月も海に入れないことは、なかなか辛いのではないでしょうか」

観光ではなく「生活」に魅力を覚えた

 さらに大森さんは、こう明かす。

「産業センターでも人手は不足しています。こちらは御蔵島の名産である黄楊(ツゲ)や桑の木を工場で加工する仕事なのですが、島民は他の仕事に従事している方が多く、また加工の際に粉塵が発生するため、アレルギーを持つ人が担えない点など、この仕事ならではの理由もあり、原木を大まかに下加工する作業員が現在、私だけしかいない状況です。そのため最近はイルカウォッチングのシーズン中であっても、必要に応じて作業をしに行っています。そのように20年前に比べ、島の人手不足が少しずつ進行しているのを実感しますね。子供の数も、徐々に少なくなっています」

 では、こうした状況を打破するには、どうすればいいのか。大森さんがポイントに挙げるのが、子連れ家族を呼び込める環境の整備だ。

「将来も含めた担い手を増やすには、『この島なら安心して子供を育てられる』と思われる環境を整えるのが何よりかなと思っています。もちろん御蔵島には雄大な自然があり、それを体験できるのはすばらしい価値ですが、たとえばそこにオンラインで様々な教育が受けられるとか、保育施設が充実していて親が安心して長く働けるといった価値が加われば、大きな魅力になるのではないでしょうか」

 一方で、島に根を下ろして暮らすための“秘訣”にも触れる。

「とにかく娯楽がほとんどない島だけに、自ら楽しみを見出だせる人が向いているのかなと。たとえば山歩きなり、釣りなり。私の場合、木材加工で扱う“木”が、楽しみの一つです。黄楊も桑も、他の木・他の島にはない特徴があり、その魅力に日々触れながら、外に広めることにやりがいを感じています。

産業センターにて木材を加工する様子

それと生活面でいえば、冬場は船が何日も着岸できない日が続くことがあります。船が着かないと、次第に商店から食材が減っていきますが、そういった過酷な状況下でも、たとえば明日葉など野外に自生する食材を採取して食べたり、あらかじめ庭で作物を栽培しておいたりといった工夫することで、その状況を楽しんでいます。もともとイルカが好きで移住したのに、島の生活そのものに魅力を見出だすようになった点が、20年も居続けられた一番の理由ではないでしょうか。この先は、3人も子供を育てさせてもらった島に何か還元できるようなことをやっていきたいです」

 地域に人を定着させるには、その土地の生活そのものに魅力を見出してもらうことが何よりだ。それには、観光促進とは違う軸による地域づくりや、人の呼び込み方も必要になる。島のこれからの発展はありのままを受け入れ、自分なりのやりがいを感じられる彼らの様な存在が重要なのかもしれない。

御蔵島港からの景色

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