東京都の個性溢れる11の有人島の中でも、他にはない特徴を持つ「利島」。特筆すべきなのが、島外出身者の住民、いわゆる「Iターン移住者」が多いこと。その割合は、島民全体の半分以上、20~40代に限れば、なんと8割超に及ぶ。なぜ人口約300人の小さな離島に、Iターン移住者が集うのか。その背景には、同島ならではの住民気質があった。

“就職先”として利島ぐらしを選んだ

 この50年間で、島の中学校を卒業したのは、たった100人ほど。利島でも、他の離島と同様に少子化が進み、そもそも島を維持するにはIターン移住者に頼らざるを得ない現状がある。とはいえ、なぜ多くの移住者が利島に訪れるのか。その謎を解き明かそうと、実際に内地から同島に移り住んだ高田佳苗さんに話を聞いた。
 
利島のIターン移住者 高田 佳苗さん

 高田さんが移住するきっかけとなったのが、利島が2013年より受け入れを始めた、国際ボランティア学生協会(IVUSA)による椿産業を支援するボランティア活動だった。利島は全国屈指の椿油生産地で、島の約8割の土地を椿林が占める。ただ、農家の高齢化や後継者不足で産業の存続が危ぶまれており、IVUSAの学生たちが毎夏、生産作業の手助けをしている。

 高田さんは大学2年生の時に、その一期生として初めて来島した。以降3年に渡り、同ボランティアで利島を訪れた。当時はまだ移住するという発想はなかったと言う。

「内地で就職しようと思っていました。ところが就職活動が思うようにいかなくて。そんな中、何度もやりとりしていた利島村役場の方から電話があり、現状を話したところ、『それなら島に来ちゃえば?』とお声がけいただいたんです。少し悩みましたが、人生のうちに島で生活する経験があってもいいのかなと思い、利島に行きたいとお返事しました」

 こうして高田さんは2016年、利島に移り住むことになった。仕事は役場の紹介で定期船の離着岸業務を請け負う株式会社TOSHIMAの総務職を務めている。 
利島を含む伊豆諸島をつなぐ大型船「さるびあ丸」

 そうして現在までの約6年間を島の住民として過ごした彼女に、改めて利島に移住した理由を尋ねてみた。

「私の場合、特に“離島ぐらし”を意識したわけではなく、就職先として選んだのが正直なところです。実際に生活も、海と山に囲まれてはいますが、それほど内地と変わるわけではありません。ただ、島の人との親密さみたいなところは、利島暮らしの一つの魅力だと思います」。島民との親密さとは、どんなものなのだろうか。

「都会だと、仕事とプライベートの人間関係って、別なことが多いですよね。でも利島だと、オフでも仕事の人とよく会ったりして、仕事とプライベートが地続きな感覚があります。そこを切り分けたい人には向かないかもしれませんが、私は嫌ではありません。人ときちんとつながれている感じがしていいなと。基本的に島民はみんな顔見知りで、道で会ったら自然に言葉や挨拶を交わします。それに慣れてしまったので、他の島に行った時に『挨拶しないんだ!』と驚きました」

 そんなふうに利島に馴染んでいる高田さんだが、今後のお話を聞くと、意外にもこう答えた。「とはいえ、島にこの先も一生いるとは限らないのかなと。利島には中学校までしかないので、もし将来子供ができたら、高校進学のタイミングで内地に戻ることを考えるかもしれません」

“よそ者”を排除する雰囲気がない

 もう一人、島の事情をよく知る人物に話を聞いた。利島村長・村山将人さんだ。村山さんは、利島には高校がないため、中学までを島で暮らした後、高校進学時に内地に移住した。卒業後は、そのまま内地で建設会社に就職。その後結婚、子供の誕生と、着々と人生を歩んでいった。

 しかし当時勤めていた会社の仕事は忙しく、なかなか家族との時間を十分に持てない日々が続き、体調を崩してしまったこともあったという。
そんなある日、妻からこう告げられる。「実家に帰らせていただきます」。ただし帰る先は、内地のご自身の実家ではなく、なんと村山さんの故郷である利島だった。

「実は私の父が状況を見かねて、妻にも利島暮らしを勧めてくれていたんです。実家に帰りますと言われても、俺の実家なんだけどなあって(笑)」 

利島村長 村山将人さん

 その後、村山さん自身は仕事の引き継ぎなどでしばらく単身で内地に留まったが、妻子を追うように半年後に利島へUターン移住をした。「転職を考えていたタイミングだったこともあり、島へ帰ることに決めました。その根底には、育ててくれた島に何か恩返しができればという思いもありました」

 帰郷後は島の建設会社で働きながら、兼業で漁業に携わったが、1年ほど経った頃に島民から勧められて村議会議員選挙に立候補し、当選。そして議員生活が3期・10年目に入った2021年11月、前村長が退任することを受け、今度は電撃的に次期村長選挙に立候補。こうして全国屈指の若さとなる、41歳の村長が誕生した。
 そんな村山さんにも、利島ぐらしの魅力を聞いた。

「毎日、飽きがこないことですね。仕事はもちろん、人からの頼まれごとや、剣道教室の先生、あるいは海や山へ作業しに行ったりと、とにかくやることが常にある。島暮らしだからといって、自分の場合、まったくのんびりしていません(笑)。その分、自分が人に必要とされている感覚を持てている気がします」

 そしてもう一つ、住民の“マインド”も、利島ぐらしの魅力に挙げた。

「Iターン移住者が多いこともあって、小さな離島でありながら、よそ者がどうこうみたいな雰囲気がほとんどありません。だから、外の人でも自然に入ってきやすいのかなと」

 では村山村長はこの先、島の“舵”をどんな方向に切ろうとしているのか。

「利島では住居の数が限られているため、住居の問題で移住をお断りすることが少なくありません。今後は、村営住宅の整備を進めながら、移住者を積極的に受け入れ、人口減少をなんとか食い止められればなと。島の文化や風習をつなげるために、Iターン移住者だけでなく、Uターン移住者を増やす取り組みにも力を入れたいです」

飾ることのない利島ならではの幻想風景

 取材で利島を訪れて感じられるのが、島民のオープンな気質だ。道に誰かいれば、屈託なく言葉を交わす。当記事用に村長を路上で写真撮影した際には、たまたま通りかかった島民が、「こんなモデルで大丈夫かよ~」と茶々を入れていく微笑ましい光景もあった。島民が互いの家を訪れて食事や酒をともにすることも、あたりまえのように行われているという。今回インタビューした二人も、飾ることのない、至って自然体な言葉を語ってくれた。

 そうした良い意味での緩さが、外から来る人に対する屈託のなさや、閉鎖性・排他性のなさにもつながっており、多くの島外出身者が気構えることなく、引っ越しや就職の延長のような心持ちで移り住めているのではないか。

 併せて利島は、観光客にとっても得がたい魅力を持つ。温かな島民性に加え、同島では多くの場所が観光地化されておらず、かつ限られた土地に集落が密集するため、離島の生活感やのどかさを生のままで感じられる。そうした島のリアルな日常風景は、むしろ島外者には非日常的な幻想風景となり、時空をちょっと飛び越えたような感覚を味わえる。



 そんな秘境が、都心から高速ジェット船で約2時間半の場所にある。
ぜひ“心の鍵”を開け、まずは一度フラッと訪れることをお勧めしたい。

全島の約80%が椿に覆われ、島に集落は一つのみである。端から端まで15分ほどで歩くことができるほどの大きさの集落に、約300人の島民が暮らしている。

<移住について>
島には民間の不動産屋がなく、移住するには基本的に村営住宅に入居することになるが、必ず事前に村役場まで相談が必要だ。島内の採用募集は随時、島のウェブサイト等で行っている。
利島村役場問合せ:https://www.toshimamura.org/contact/

<利島ワーキングホリデー>
利島では、島に1週間滞在して椿の生産作業に携わるワーキングホリデーの取り組みも行っている。https://furusato-work.jp/worklist/works-14098/

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