“リアルドラゴン桜”西岡壱誠氏が語る、偏差値35からの東大合格法
西岡氏は偏差値35から二浪の末、東大に合格した“リアルドラゴン桜”である。決め手となったのは、やはり基礎学力の習得だったと打ち明ける。
西岡:たとえば、算数・数学でいうと計算力がめちゃめちゃ大事です。東大の入試問題では四則演算が500回以上必要になりますが、それを1回でもミスするとアウトです。考え方はわかっていても、土台がしっかりしていないと、バタンと倒れてしまうわけです。計算力を身につけるには、思い切って小学2年生まで戻って、計算問題を解いたほうがいいということが『ドラゴン桜2』にも登場しますが、僕もそれに近いことをしました。
数学は計算力で、英語は単語力、国語は語彙力ないし漢字力が大切だとよく言うのですが、中学受験を経験している子どもたちは、これら3つの基礎学力が身についている印象です。
佐渡島:多くの子どもの勉強の仕方というのは、70~80点をとって、次のレベルに進む。それが、小学校6年・中学3年・高校3年で合わせて12年間積み重なっていくと、穴がいっぱい開いている状態なので、その土台の上で東大を受験しても、なかなかうまくいくはずがない。
その点、公文式の繰り返し学習がいいなと思うのは、限りなく100点に近い状態にまで計算力を引き上げてくれること。繰り返し学習の中で、100点を取れるようにして、次の単元に進むというシステムだからね。早くできるようになれば、穴のない、しっかりした計算力が身につくし、学校の授業を先取りして勉強しているから、瞬時に理解した上で、余裕をもって授業に臨むことができる。基礎学力だけでなく、自己肯定感を育てる仕組みがあると思う。
共通点が多い『ドラゴン桜』の勉強法と公文式学習法
『ドラゴン桜』には、一見、非現実的ともいえるエピソードもありながら、東大合格法としてだけでなく、学生や社会人にも役立ちそうな勉強法が数多く登場する。その内容や考え方は公文式学習と共通する部分も多い(文末のコラム参照)。
佐渡島:公文式というと算数・数学が有名だけど、実は国語の教材が秀逸だと思っている。公文式の国語では、延々と文章を読んで、「言い換え」をしていく。途中から文章が難しくなってきて、意味がわからないところも出てくるんだけれど、それでも進んでいる子どもは、どんどん問題を解いていく。何が起きているのかというと、言い換えを通して、文章の構造を理解する力が身についている。構造を理解した上で読むので、文章の意味もわかる。
「内容なんかわからなくても、問題は解けるんだ」と『ドラゴン桜』でも言っているけど、まさにそう。公文式の国語を勉強していると、入試問題の文章を読んで意味がわからない箇所があっても、文章の構造から答えを探し出すことができるので、時間が足りなくなることがない。文章を構造物として捉える癖がついていると、読解力も相当身につくと思う。
ところで西岡君、公文式にはなぜ理科と社会がないのか?
西岡:さあ、なぜでしょう。
佐渡島:あくまでも持論だけど、国語の文章で全ての教科の内容に触れるから。公文式の国語を勉強していると、小学校高学年レベルで、文学だけではなく、自然科学や社会科学をテーマに扱った、けっこう難しい文章が出てくるし、教室内にはさまざまなジャンルの本も「くもんのすいせん図書」として蔵書している。算数・数学と英語、国語ができるようになると、世の中のすべてが学べますよということで、徹底して基礎学力の習得を大切にしている教育団体だと思う。
これからを生きる子どもたちへのメッセージ
公文式OBの佐渡島氏は現在、3人のお子さんを公文式に通わせている。自身、公文式で何を学び、どんな力を身につけたのか。そして、お子さんの公文式学習に期待するところは何か。
佐渡島:中学生の時に、父親の転勤で南アフリカに行くことになって。現地には塾もないし、当時はインターネットもない時代。通っていた公文式教室に母親が頼み込んで、現地で通信で延々と数学と英語の問題を解いていたんだよね。その後、日本に帰ってきて高校受験をするんだけど、教科書と公文式の勉強だけで灘高に合格できた。公文式の繰り返し学習で基礎力が染みついたおかげだと思う。そうした経験を踏まえ、自分の子どもにも基礎学力ややりぬく力、習慣化する力がつくことを期待して始めさせたんだ。
西岡:公文式も佐渡島さんも基礎学力の習得といった本質的な勉強を追求されてきたわけで、結局、『ドラゴン桜』も同じことを言っていますね。
佐渡島:公文式と学校の大きな違いは、ティーチングではなくてコーチングをやっていること。何十年も前からここまでコーチングの知見を蓄積してきた団体は他にないと思っている。4月から通室とオンラインを組み合わせた学習も始めるそうだけど、先生たちのコーチング技術は、むしろ、オンラインの学習になって、ますます活きてくると期待している。