創薬にかかる費用を7割削減
ライフサイエンス&ヘルスケアの領域で、ビッグデータやAIなどのデジタルテクノロジーを活用し、ビジネスモデルにイノベーションを起こす動きが活発化している。中でも注目を集めているのが、莫大な時間と費用を要する医薬品開発にAIを活用して、飛躍的に生産性を高める「AI創薬」である。
ライフサイエンス企業に対して、戦略立案、ビジネスモデルイノベーション、創薬イノベーション、グローバル展開などの支援を行っているデロイト トーマツ グループの柳本岳史パートナーにAI創薬及びデジタルヘルス の世界的潮流と日本の課題について語ってもらった。
医薬品開発のプロセスにおいて、AIはどのように組み込まれているのか。
「『対象疾患や作用機序の標的の同定』『リード化合物(新薬を導き出す化合物)/抗体の同定』『リードの最適化(新薬候補化合物の薬効と安全性を高めていくこと)』『バイオマーカーの探索』『非臨床/臨床試験』等の各プロセスでAIが活用されており、国内外の製薬企業の間で提携が進んでいます」。デロイト トーマツ グループの柳本岳史パートナーはこう切り出した。
グローバルの先端事例をいくつか挙げると、例えば「標的の同定」では、英国のアストラゼネカがUKバイオバンクのデータを使い50万人のエキソームシーケンシング(エキソーム解析)に成功。「リード化合物/抗体の同定」では、米国のメルク、ドイツのベーリンガーインゲルハイムは米国のスタートアップNumerateと組み、インシリコで(コンピューターを用いて)医薬品の候補となる低分子の発見に取り組んでいる。
AI創薬企業は、創薬・ライフサイエンス領域に特化しているか否か、またアルゴリズム研究型かアセット構築型かで大別される。日系企業はマルチドメインでオープンデータまたはパートナーのデータを使用してアルゴリズムを開発する企業が中心であるのに対し、欧米では創薬・ライフサイエンス領域に特化し、アルゴリズムを研究する企業が圧倒的に多く、自前でデータ生成からパイプライン開発までを行うアセット構築型も散見されるという。
何故今、AI創薬が脚光を浴びているのか。背景には、製薬業界の研究開発生産性の低下があると柳本氏は指摘する。「世界の大手製薬企業の研究開発生産性は、過去10年間で8割低下しました。
AIによる創薬イノベーションによって、失地回復を図ることが製薬業界にとって喫緊の課題になっているからです」。
デロイト トーマツ グループの推計によると、AIなどのテクノロジーが最大限活用されれば、医薬品開発にかかる費用を約7割減らすことが可能で、開発期間も半分以下に短縮化できるなど、大幅な生産性向上が見込まれているという。
見方を変えれば、そのぐらい抜本的な変革が医薬品開発の現場では求められているということだ。
臨床試験を省略することも可能に
医薬品開発の生産性を飛躍的に高めるAIの活用について、もう少し具体的に紹介しよう。
例えば、AIによる論文の自然言語処理によって、大量の論文を読み込むことができる。これによって、一人の研究者が読める範囲のインサイトから得られる創薬ではなく、世の中にあるすべての論文から疾患のメカニズムを解明し、標的を見出すことが可能になる。
ウェット(動物や人の細胞など生物学的実験)/ドライ(コンピューターによる解析)両方の実験データを蓄積し、高速スパコンやAIで解析・予測することで、これまで研究者に職人芸に頼っていたリード化合物の生成・最適化も容易になり、開発化合物がより多く得られるようになる。
柳本氏が期待を寄せるのは、テクノロジーの活用によって、臨床試験をしなくても結果がある程度予測できるケースが増えることや、臨床試験の規模を飛躍的に小さくする可能性だという。「今、研究開発で何が問題かというと、臨床試験の予測性が低いことです。試験管から動物実験へ、 さらに臨床試験に進んでいくには当然、お金だけではなく時間もかかります。加えて、結果としてダメだったときに、前に戻ってやり直しができないことから、臨床に入る前に、臨床に入れたらどうなるかを見通しておく ことが一番大事だと考えています」。
AIを活用すれば、個人に最適な薬の投与も可能だ。スマートピルやウェアラブルデバイスなどのモニタリングツール、ホームセンサーなどの発達により、今までは病院に入院して観察しなければ分からなかったことが常に分かるようになるので、その状況に応じて投与量や投与タイミングを変えていくことができる。リアルタイムでのモニタリングは上市後も可能なはずで、投薬結果によって新たな適応を見つけることもできるだろう。
圧倒的な速さと本気度で向き合うべき
AI創薬、デジタルヘルスがグローバルに振興する中で、日本の現状と課題は何か。残念ながら日系企業は欧米企業の後塵を拝していると言わざるを得ないだろう。「製薬企業とそれを支える提携先のAI企業を含めて、一部を除き、まだまだ本気度が足りないように思います。
生産性や収益性の低下に鑑みると、従来のままでは絶対に立ち行かなくなることは分かっているはずですが、医薬品の研究開発自体が元々確率の低い事業であるため、それに慣れてしまっている部分があるのかもしれません」と柳本氏は語る。
「グローバル競争に生き残ることができない」との危機感を持って臨んでいる経営者はわずかであり、研究開発部門のトップの意識についても、従来通りのスキームの中でいかに効率化を進めるかといったレベルにとどまっているという。また、海外にメインとなる研究開発拠点を持つ大手はさておき、国内での活動が中心の企業は、提携先となるテック企業を見つけるのも難しいという現状がある。
「危機感を持った上で、まずは圧倒的な速さと、これまでにない本気度で何かを始めることが大事です。何をやっていいのか分からないのであれば、とりあえず何かをやってみたらいい。たとえ失敗しても、それは次への糧になるので、学びながら進んでいけばいい」と柳本氏はアドバイスする。