2017年に採択された「超スマート社会の実現に向けた沿岸都市における防災プラットフォームの開発」は、災害時における避難行動のデータや、堤防などの防護施設、都市設計のデータを集め、水災害の防災・減災をめざす研究プロジェクト。

「沿岸防災プラットフォーム」とは

「具体的にいうと、津波や洪水がどう起きるか、避難路は水の力に耐えられるか、避難場所は適切か。調査を通じて、水の災害に備えた『避難経路』を作っています」

中央大学 理工学部 都市環境学科 教授
有川 太郎 氏

プロジェクト代表の有川太郎教授(理工学部/都市環境学科)は、「私たちが進めているのは、避難の支援であり、町づくりの支援」と話す。
「被害を受けた人は、『まさか自分』がとほぼ全員が言う。災害に遭う想像がつかないんです。避難支援が活用できるようになると、その『まさか』が減るはずなんです」

 有川教授がプロジェクトを立ち上げるきっかけは、2011年の東日本大震災だった。海岸工学を専門とし、震災当時は防波堤や堤防の設計に携わっていた有川教授は、「震災で堤防を越える水の被害を受け、堤防の価値について考えさせられました」という。
「何千億円も投入して100mの堤防を作っても、110mの津波が来たらその堤防は価値をなくしてしまう。場合によっては、堤防があることによって逃げ遅れる人が出てしまう」
「堤防を高くするという対応を今後も繰り返していくのでいいのだろうか?と思ったときに、新しい防災のあり方、新しい町のあり方を考えなければならないと感じました」


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防災は総合的な学問

 防災のあり方を考えるには、津波や洪水といった災害自体の研究だけでなく、災害に遭う側の人間の研究も不可欠だ。
プロジェクトの1年目は、避難時の人間の感覚を調べるため、「高さ2m、長さ10m、幅2mの大きな水槽」を作ることから始まった。
「でも、水槽内で避難の実験をしても簡単にデータは取れなかった」と有川教授は振り返る。「恐怖感って死を目の前にしないと起こらない。死の恐怖のような高度な感情はまだまだ未解明なんです」
「防災は総合的な学問。さまざまな分野との連携が必要です」と有川教授。

 採択直後の2018年度から、中央大学理工学部では、学科の枠を超えて横断的に研究・教育を進める「研究教育クラスター」の仕組みがスタートしていた。「クラスター」の分野は多岐にわたり、「防災・減災クラスター」には多くの分野の教授陣が参加する。

 防災の前提となるのは土木的な都市環境学の知識。海の動き、構造物、河川や洪水についての多角的な調査・研究が礎となる。
「そのうえで、脳の働きを調べる生理学であったり、救急であったり、気象業務法などの避難にかかわる法律、制度の理解も必要です」
「さらには、スマホを介して避難経路を可視化するプラットフォームの設計技術も必要になってきます」

実際の運用にあたって

「たとえばマグニチュード6の津波が来るという予測が出ると、それに対応した浸水範囲が分かる。その中で浸水しにくい場所や経路を選び、スマホを介して市町村に周知しようとしています」
3年目に入ったプロジェクトは、市町村と組んで現実の運用に取り組んでいるが、課題は多いという。
「高齢の方も多く、スマホを介して周知できないこともある。どのように伝えるのが適切かを考えなければなりません」
「法律の規制もあるし、避難路を示すことで混乱をもたらさないか、誰が責任を取るのかという問題もある。制度的にもたくさんのハードルがあります」

「現場で運用する中で、防災に関する人の意識はなかなか変えられないという難しさも感じています」と有川教授はいう。
「日本では、災害には堤防で守るべしと、ハード面の整備が議論されがち。でも、日本以外は実はそうでもないんです。たとえばニューヨークは、2005年の大型ハリケーン・カトリーナの後も高い堤防は作っていない。その代わり、浸水しても大丈夫な町づくりを模索している」
「安全と安心の考え方が違うんです。災害が来ても適切に対応して、自分の命は自分で守るという発想です」
「私たちも、『災害に遭いにくいようにすること』、『災害に遭っても命を守ること』をもっと考える必要がある。単に守られているだけではない社会を作っていかないといけない」と有川教授は語る。

未来へ

「災害に際し、命を守るために別のところに住むという選択肢だって、本来あってもいいはずなんです。でもなかなかそうはならない。日本人の土地への執着は強いから」
「災害にどう対峙するかというのは文化であり、生き方の哲学でもある。変えていくには教育が必要で、時間がかかります。逆にいうと、文化や生き方の哲学が変わっていけば、防災の考え方もゆっくりでも変化していくでしょう」

 技術の発展にともない、変化はすでに始まりつつある。
「好きなところに住んで仕事するという生活が少しずつ可能になってきている。これから通信システムが5Gになると、テレワークはもっと進みます」
「さらに先の未来には、空飛ぶ車や空飛ぶ家もできるかもしれない。そうすると、まったく違う発想で町を作るようになる。より逃げやすく、移動しやすい環境を作るという考え方、危なくないときは海のそばに住んで、危なくなったら別のところに住めばいいという考え方もできる」

「本当に大切なのは町を守ることではなく、人の命を守ること」と有川教授はいう。「今後も、人の命を守る『避難支援』の精度を上げていきたい」
津波の災害を想定して始まったこのプロジェクトは今、「防災・減災クラスター」メンバーの山田正教授との連携で、豪雨や洪水の予測や避難経路作りにも広がる。さらに日本を出て、インドネシア、トルコ、チリでの避難・町づくり研究へも広がっている。
「広がりがある分、プロジェクトにも多彩な考え方が入ってきている。多分野にまたがる議論を学生たちに伝える機会にもなっています」という有川教授。
「防災は、長い視点で考える学問。100年後にどういう社会を作るかを、若い学生たちと一緒に考えていきたい」と、期待をこめて締めくくる。

<取材後記>

「土地にこだわらない幸福のあり方を考えていく必要がある」という有川教授の言葉は、近時変わりつつある「働き方」のあり方ともリンクする。
「場所にとらわれない生き方」が「防災」につながるとは考えたこともなかったが、柔軟な生き方はこれからますます必要になってくるのだろう。目から鱗の思いだった。


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