平安時代中期に紫式部が著した『源氏物語』は、70余年にわたる期間の架空の出来事を丁寧に描き、400文字原稿用紙にすると2500枚近くに及ぶ古代長編小説の逸品だ。物語としての面白さ、心理描写の巧みさから『日本古典文学史上最高傑作』と評される。

つまり、日本人が誇るべき文学作品のはずだが…多くの日本人は高校の古文の教科書で勉強したほんの一場面が遠い記憶の彼方にある程度で、稀代の色男・光源氏が夜な夜な女性のもとに通う物語という程度の知識しかない。

若き頃の光源氏 (秋山光和氏の復元画)


なにしろ、辞書なしでは読めない古典文学はハードルが高い上に、現在とは全く生活様式の異なる平安時代の貴族の物語となれば、まるでイメージが湧かない。ついつい敬遠しがちになってしまうのだが、残された絵巻などをヒントに読み解いていくと、光源氏の世界がぐっと興味深く見えてくるのだという。平安朝文学研究の第一人者である國學院大學・秋澤亙教授の授業へようこそ!

國學院大學 文学部 
教授 秋澤亙氏

 

口で説明するよりも、ビジュアルの方が伝わる

  古典文学は口頭で説明しただけでは理解できないところも少なくありません。たとえば、「赤色(あかいろ)」「紅(くれない)」「蘇芳色(すおういろ)」「緋色(ひいろ)」などは、いずれも赤系統の色を指す言葉ですが、『赤っぽい色』と説明してもなかなかイメージが湧かない。ところが、色の図版を見せれば、説明などせずとも、一目で了解してもらえます。

  左から、赤色(色彩大鑑)・ 紅(同左)・蘇芳色(同左)・緋色(同左)

 『源氏物語』はその人気の高さゆえに、平安時代から江戸時代に至るまでの間、何度も絵画化されていて、源氏物語を理解する上で貴重な参考資料となります。

源氏絵の中で、現存する最古のものは国宝に指定されている『源氏物語絵巻』です。その国宝『源氏物語絵巻』を見てみますと、短い巻で1場面、長い巻なら3場面が描かれています。『源氏物語』の54帖各巻に、同じような比率で絵が付されていたとすると、制作当初は100面程度の画帖が存在したものと推測されます。これはすごい数で、いったいどれほどの制作費がかかったのかと考えると、気が遠くなります。紙や絵の具が極めて高価だった当時の事情を考えれば、力のある上皇や摂政関白以外に制作者は想定できません。

しかし、残念ながら、その100面あまりも、現在は名古屋の徳川美術館に15面、東京の五島美術館に4面の計19面しか残っていません。つまり、大半が、散逸してしまったのですが、それでも、我々にとっては、当時の装束や、文化、風習、生活様式などを知るための貴重な資料となっています。

ただ、『源氏物語絵巻』が万能というわけではありません。気をつけなければならないのは、紫式部が源氏物語を書いた平安中期から150年程後の平安後期、いわゆる院政期の作品だということです。絵の中には、院政期の文化や風俗も取り込まれているので、それを割り引いて考えなければなりません。
 

源氏の時代は『聖徳太子絵伝』のようなゆったりとした装束だった

  むしろ、装束という点では、同じく国宝で東京国立博物館に収蔵されている襖絵『聖徳太子絵伝』の方が参考になります。

聖徳太子絵伝(東京国立博物館蔵)

 聖徳太子は言わずと知れた飛鳥時代の人物で、『源氏物語』とは何の関係もありません。しかし、面白いことに、飛鳥時代の人であるはずの聖徳太子たちが、絵の描かれた時代の平安期の服装で出てくるのです。『聖徳太子絵伝』が描かれたのは1069年。つまり、『源氏物語』が書かれた50年ほど後の作品なので、同じく150年後の『源氏物語絵巻』に描かれている装束よりも、はるかに、『源氏物語』の時代に近い姿と考えられるのです。

『源氏物語絵巻』に描かれている装束はパリパリに糊付けされていてカチっとしています。これは「強装束(こわしょうぞく)」と言われるものの先駆で、平安後期に流行しはじめて、鎌倉時代になると、もっと固くなります。『源氏物語』の原作が書かれた平安中期は、『萎装束(なえしょうぞく)』と言われるしなしなでゆったりとした服を着ていたはずで、聖徳太子絵伝に描かれているのは、そういう形態の装束です。

左:萎装束(出光美術館蔵)  右: 強装束(法人蔵)

 
装束を読み解くには、「神像」なども参考になります。寺でよく見かける「仏像」は、かりに平安時代の制作であっても、インドや中国の服装を模しているため、当時の日本の装束を考える参考にはなりません。ところが、「神像」は日本の服装をしており、制作が平安中期のものであれば、『源氏物語』の時代の装束を推測するための有力な資料になります。

装束は非常に保守的なものですから、時代が下がっても、それなりに参考になるのですが、やはり時代によって少しずつ変化している点が厄介なのです。装束がどのように変化したのかを詳しく検証するのは、歴史学の分野であり、我々のような文学の人間の役目ではありませんが、それなりに知識を持っていれば、物語が立体的に見えてきます。

余談ですが、歴史の教科書などで、最も知られている平安前期の歌人小野小町の絵は、『佐竹本三十六歌仙』と呼ばれる鎌倉前期の名品ですが、強装束の十二単(正確には裳唐衣)を着ています。しかし、実際の小町は、恐らくそういう格好をしていなかったでしょう。強装束が間違っているのはもちろん、そもそも十二単を着ていなかった可能性があります。京都の平安神宮の時代祭は、考証を徹底させた時代行列で知られていますが、行列の小野小町の場合、我々の知る小町の姿とはまるで別物の格好をしています。

  左:佐竹本の小町(藤木鉄三氏蔵) 右:  時代祭の小町

 

漫画が源氏への興味のきっかけになる!

 大和和紀さんの『あさきゆめみし』は、『源氏物語』をマンガ化した作品として“文系受験生必携の書”と言われるほど定着しています。1979年から雑誌に不定期連載されていたもので、大和さんは『源氏物語絵巻』もずいぶんと一生懸命に勉強して描かれたようです。これこそ、文章情報だけでなく、絵画から物語を立体的に再現する典型かもしれません。

『あさきゆめみし』
(大和和紀による日本の漫画)

 
『源氏物語』に限らず、平安期の物語は絵を見ながら、誰かに読んでもらって耳から聞くものでした。イメージとしては、「紙芝居」に近い読書法です。だから、『源氏物語』を漫画にした『あさきゆめみし』の手法は、伝統的な物語の味わい方の直系の子孫に相当します。私が志している図版を見て『源氏物語』を読むという方法も、その伝統を考えれば、あながち的外れなやり方でもないような気がします。

『あさきゆめみし』の中には、一部に大和さんの独自の解釈と思われる部分もありますが、高校生が古文に馴染み、『源氏物語』の世界を身近に感じるきっかけとしては、推奨すべき作品でしょう。そこで興味を持ったら、次にいきなり原作にチャレンジする必要はありません。第二弾は現代語訳で『源氏物語』を読んでみてほしいと思います。谷崎潤一郎訳、瀬戸内寂聴訳などタイプの異なる現代語訳が出ていますので、自分の好みに合いそうなものを選ぶといいでしょう。無理をせずに、読みやすいところから、徐々に馴染んでゆくのが、『源氏物語』に親しむコツです。

紫式部は男を物語に引き込むツボを心得ていた

 紫式部は漢学者の娘で、漢学や歴史の知識が豊富であると同時に、想像力もあり、フィクション作家としても超一流でした。当時、物語などは女性や子どもの慰みものであり、男性が真剣に読むものではないと考えられていました。気休めに読む、今で言う漫画のような位置づけだったようです。

しかし、『源氏物語』には若い女性が喜びそうな男女の恋愛話が描かれているだけではありません。大人の男性が興味を抱きそうな出世や権力闘争にまつわる話も飛び出してきます。しかも、それらは相互に関連しており、複雑にからみあっています。そのような多岐にわたる話題が豊富に盛り込まれているのは、この作品に幅広い読者が想定されていた証でしょう。

『紫式部日記』には、「この人(=紫式部)は、相当に歴史書を読んでいるに違いない」と一条天皇がつぶやいたエピソードが紹介されていますし、当時・随一の知識人であった藤原公任が『源氏物語』の好意的な読者だった様子も描かれています。

つまり、『源氏物語』には、天皇や優秀な男性の心をくすぐり、虜にさせる要素があったのだと考えられます。女性や子どもが読んで引き込まれる物語でありながら、「あの歴史を下敷きにしているのだろう」「あの出来事を脚色しているのでないか」と思わせるしかけがあちこちに散りばめられています。そのしかけに気づいたインテリの男性は、もっと色々と見破ってやろうと躍起になり、見破った際には彼らの自負心が大いに満足させられたものと想像されます。

すなわち、子供でも大人でも、男性でも女性でも、知識がある者でもない者でも、様々な読者が、それぞれの持てる教養や力量に応じて、誰でも楽しめる懐の深い作品。それが『源氏物語』という作品なのです。

 

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