年は改まったけれども、私の(そしておそらく皆さんの)頭脳の中では切れ目なく思考が続いているし、社会や経済の動きも連続して流れている。そこで2010年最初のコラムも、前回の話からさらにあれこれ考えつつ、でもやはり「年の初めに」らしい観測を組み立ててみようと思う。

 前回お話ししたように、プロダクツ(クルマ)からは、ものづくりの意志から企業組織の状態までを読み取ることができる。そこに浮かび上がってくるのは、経営や経済の視点から見るものよりも「今」に近い像であり、また「ものづくり組織」としての長所短所が読み取れる像でもある。

 さらに、我々が新車を「味見」する機会には開発担当者の方々も同席することが多く、彼らと様々な内容(製品企画の全体像から細かな特性に至るまで)を語り合う中で、開発着手から今日に至るまでの企業の実像も伝わってくる。

 そうした「最新の企業像」「ものづくりの方向とプロセス」の観測を集積してみると、日本の自動車産業にとっては、まだしばらくは厳しい状況が続くし、さらにもう少し先に起こる動き、つまり世界の自動車産業が新しいパラダイムに向かってゆく中で、これまでのような「我が世の春を謳歌する」状況を再び迎えることは非常に難しい、と言わざるを得ない。

「ハイブリッド」「電気自動車」一色の表層的な未来像

日産自動車は自社の主たる製品のほとんどを純EVに置き換えるかのようなイメージを前面に押し出し、メディアもそればかりを取り上げている。しかし純EVは現在の自動車に置換できる存在ではなく、社会的シナリオを構築しつつ導入を進めるしかないことは、その開発に携わる人々がいちばんよく分かっている(写真提供:日産自動車)
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 実は、今この時に進めておかなくてはならないのは、その「次の時代」に向かう自動車とその社会のあり方のビジョンを描き、基礎にまで戻って技術的な足場を構築することなのだ。

 表層だけを見て語られる浅い観測、例えば「(欲望が沸騰する)途上国市場に対応した安価な製品の開発と生産」「さらなるコスト低減」などを志向すればすむわけではない。むしろそれは自分たちの首を自ら締める方向でしかない。それが見えている人々が、日本の自動車産業の中にどれほどいるだろうか。

 今は、ハードウエアとしての自動車と自動車社会のこれからについて、視野を広く、しかも深く考え、そこから次の動きを組み立てるべき時だ。バブルの中で(それも日本は連続して2度)「イケイケ」だけで走ってきた。その路線修正程度では次に来る潮流も見えないし、それ以前に「底」も読めない。

まず、自分たちは何を実現していくべきなのかという企業としての基本に立ち戻る。そこから製品戦略を描き、そしてそれを実現するための技術戦略(実装技術だけでなく生産技術まで)を描く。それに沿って布石を打つ。欧州では、まさにこのアプローチで動き出していることが読み取れるところが、完成車メーカーだけでなく部品メーカーでも、いくつかはある。しかし残念ながら日本には、ない。

 「技術戦略」というものを簡単に考えて、例えば電気自動車(EV)や、ハイブリッド動力車、この両者の交雑種的技術にすぎない「プラグインハイブリッド」などだけに注力していれば「エコカー技術で世界をリードできる」、などという甘い夢物語に身を預けていてはいけない。