左から、江口直明氏、板橋加奈氏、ヨン・オルノルフソン氏

日本政府が宣言する2050年のカーボンニュートラル実現(温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする)にむけて、日本は温室効果ガスを年間9%削減する必要がある。しかし、ここ数年はコロナ禍によって経済活動が停滞しGDPが下落したにも関わらず、年間目標の削減率を達成できなかった。2050年まで残された30年弱。カーボンニュートラル実現のために、日本企業はどのようなエネルギー戦略を打ち立て、変革を遂げていけばいいのか。世界のエネルギー市場に精通し、政府への助言も行いながら、多くの企業をサポートしている世界最大級の国際法律事務所 ベーカーマッケンジーの法律専門家を取材した。

政府に法改正を働きかけ、さらなる再エネ普及へ

「日本は石油、化石、天然ガスなどの化石資源が乏しく、その80%を輸入に頼っています。化石燃料を再生可能エネルギーに切り替えていく『エナジートランジション』への動きが高まっていますが、日本は欧米などに比べると再生可能エネルギーの普及が遅れています。エネルギー転換は一夜で実現できるものではありません。10年先を見据えた戦略を立て、ビジネスモデルの変革を進めていくとよいでしょう」

そう話すのは、大西洋の北部に位置するアイスランド出身で、多くのエネルギー企業のアドバイザーとして活躍するヨン・オルノルフソン氏だ。

ヨン・オルノルフソン氏は、エネルギーおよびインフラ部門のアウトバウンドプロジェクトを中心にクライアントをサポートしている。

「アイスランドの発電は水力や地熱など、100%クリーンエネルギーです。化石燃料を輸入する必要もありません。私は、約16年間アジアで活動し、日本にも長く暮らしていますが、政府や企業が取り組むさまざまなエネルギーおよびインフラプロジェクトに参画しながら、母国のようなエネルギー転換を日本でも実現できればと考えています」

アイスランドにあるエネルギー企業の地熱発電所を視察するオルノルフソン氏。

日本では2012年7月、再生可能エネルギーで発電した電気を電力会社が買い取る「固定価格買取制度」の施行以降、太陽光発電を中心に普及が拡大。現在、稼働済み太陽光パネルの設備容量は63.8ギガワットに達したが、新たな壁に直面している。長年にわたって内閣府PFI*推進委員会専門委員なども務めてきた江口直明氏は次のように語る。
*PFI(Private Finance Initiative:プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)」とは、公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う手法。

「日本の国土面積当たりの太陽光発電導入量は世界最大級を誇る一方で、既に太陽光パネルの設置に適した土地がなくなってきています。そこで新たな設置場所として、耕作放棄地や建物の屋根の活用を検討。屋根の賃借契約に関する対抗要件の法整備なども進めながら、太陽光発電のさらなる普及を目指します。さらに、空港周辺の空き地を活用できるよう、2022年12月1日から空港法が改正され、新たに約2300ヘクタール分の土地を太陽光発電施設用地として活用できるようになりました。今後も、より多くの企業がエネルギー転換しやすい環境づくりを推進していきます」

海外と連携したエネルギープロジェクトをサポート

再生可能エネルギーグループ共同代表を務める江口直明氏。日本風力発電協会会員(洋上風力金融タスクフォースリーダー)も務める。

江口氏は海外の経験豊かな再生可能エネルギー事業者を日本に誘致する、いわゆるインバウンドプロジェクトを数多く手がけている。そのなかでも特に注力しているのが、欧州で普及が進んでいる洋上風力発電だ。

「海外からの導入を推進するためには、法整備と規制緩和も必要です。そこで、私たちは政府に働きかけ、洋上風力に関する法律が2019年4月1日から施行されるに至りました。さらに現在は、洋上風力設備の設置範囲をEEZ(排他的経済水域)まで拡大すべく、政府に検討していただいています」

また最近は、系統用蓄電池の案件も増えていると、江口氏は続ける。

「再生可能エネルギーをたくさん作っても、それを需要地に送電する系統が足りないと供給の安定化は図れません。現在、北海道から関東まで海底直流送電線を引くプランも進んでいますが、整備が完了するのは2030年で、まだ時間がかかります。そのつなぎとして活躍を期待されているのが蓄電池なのです。経産省等からの補助金もありますので、企業におけるエネルギー転換の戦略の一つとして有効だと思います。太陽光がたくさん発電し系統が混雑する日中に安い価格で蓄電し、太陽光が発電しない、系統も混んでいない価格の比較的高い夜に放電して、利益を得るとともに需給バランスや系統混雑緩和に役立てるという使い方があります」

一方、オルノルフソン氏は日本企業の再生可能エネルギープロジェクトを海外で行う、アウトバウンドのサポートを数多く手がけている。

「日本はカーボンキャプチャー(排出されたCO2を回収して、地中深くに圧入し、有効利用・貯蓄する)の技術が優れていますが、国内には大規模に展開できる土地がありません。そこで、オーストラリアなど海外での展開を図る日本企業が多く、私はその際の法的サポートなどを行っています。ほかにも、化石燃料からアンモニアや水素といったクリーンエネルギーへの転換を目指す企業もあり、他国からの原料調達に関わる手続きなどのお手伝いもしています」

エネルギー転換のカギは海外との連携。ベーカーマッケンジーは、インバウンド・アウトバウンドの両方をサポート。

エネルギー転換は、サプライチェーンとして生き残る条件

エネルギー転換の動きは供給側だけでなく、エネルギーを消費する企業でも加速。自社が消費する電気を全て再生可能エネルギーへ転換することを目指す団体、「RE100」に加入する企業も増えていると、江口氏は話す。

「東証も、昨年から企業にTask Force on Climate-related Financial Disclosures (TCFD)の提言に沿った開示をプライム市場上場会社に求め始めており、ステークホルダーからの注目もより高まっていくと考えられます」(江口氏)

「既に80を超える日本企業がRE100に加盟。その背景には、“再生可能エネルギーで作った製品を納品してください”という、発注元からの要請が増えていることが挙げられます。ここで注意しなくてはならないのがサプライチェーンです。例えばスマホ端末を提供している企業であれば、自社だけでなく、その先にある部品製作会社をはじめ、スマホ端末に関わる全ての企業を考慮しなければなりません。サプライチェーンを担う企業であれば、再生可能エネルギーを使わないとサプライチェーンから弾き出されてしまう恐れもあるのです」

EUでは新たに炭素税を導入し、再生可能エネルギーを活用していない製品に高い税金を課す方向で議論がすすんでいる。また、規制の内容は国によって異なるため注意が必要だと、オルノルフソン氏は言う。

「世界各地の事務所と連携したワークショップを定期的に開催し、エネルギー転換に関する知見やノウハウ、法規制の情報を共有しています」(オルノルフソン氏)

「エネルギー転換に必要な燃料を海外から調達している場合、国によって“クリーン”の定義自体が異なるため、調達が困難になってしまうケースも考えられます。そこで、私たちは世界中に広がるネットワークを駆使しながら、各国の規制のベンチマークを正しく理解し、お客様へ情報を提供しています」

削減し切れない部分を補完するカーボンクレジット取引

エネルギー転換におけるカーボンクレジット取引を担当する板橋加奈氏。東京事務所のパートナーとしてコーポレートM&A、環境、国際通商グループに所属。

「2050年までのカーボンニュートラルに向けて、多くの企業が再生可能エネルギーの導入や技術開発に取り組んでいますが、目標達成は容易ではありません。そこで足りない部分を補う戦略として注目されているのが、カーボンクレジット取引です」

そう話すのは、環境法に精通し、数々の排出権取引案件なども手がけてきた板橋加奈氏だ。カーボンクレジット取引とは、温室効果ガスの排出削減量を企業間で売買する取引で、購入した量を自社の排出削減量に算入することができる。日本では2023年4月にGXリーグ参画企業の自主目標達成に向けた活動がスタートし、本格的なカーボンクレジット取引市場の早期実現が期待されている。

企業の目標として定められた温室効果ガス排出削減量(=排出枠)に届かない分を他社から購入。温室効果ガスを多く排出する産業への救済措置的な側面ももつ仕組みだ。

「カーボンクレジット取引は、法規制に基づいて取引を行うコンプライアンス市場における取引のほかに、法規制に基づくものではない民間認証機関により認証を受けたカーボンクレジットを取引するボランタリー取引があります。カーボンクレジット取引の規模を拡大させるためには信頼性の高いルールが必要です。日本は、官民学共同でルールを作りあげていこうというスタンスで、GXリーグ(グリーントランスフォーメーションリーグ)が誕生しました。すでに700社ほどが賛同していますが、規模としては日本企業全体の温室効果ガス排出量の4割に相当するともいわれています。GXリーグでは、J-クレジット制度や、海外で再生可能エネルギーの普及に貢献した対価を受け取るJCM(二国間クレジット制度)により、賛同企業以外もカーボンクレジット取引に参加することができる仕組みとされており、国も積極的に後押ししています」

経済的取引によって温室効果ガス削減量を手に入れるカーボンクレジット取引は、カーボンニュートラルを実現するための有用な手段となりうると、板橋氏は考えている。

「カーボンニュートラルは、再生可能エネルギーの導入や技術開発などによりまずは達成を目指すべきものと考えますが、産業や企業によって達成の度合いや困難さには差があります。それであれば、余力のある企業がそうでない企業に協力することでより経済効率的に温室効果ガスの削減を目指すことはできないか。地球温暖化対策は世界全体の課題です。政府、企業、生活者(消費者)全ての当事者が手を取り合いながら、あらゆる手段を講じてカーボンニュートラルを目指すことを考える必要があると、私は思います」

20年以上蓄積された知見で、ボランタリーカーボンクレジット取引をサポート

多種多様なカーボンクレジット取引をサポートしている板橋氏によると、法的性質が定まっていない場合でも現行の法制度下で取り得る可能な限りのリスク管理手段をご提案することが、弁護士の腕の見せ所だという。

「実は、カーボンクレジット取引が進んでいる欧米においても、カーボンクレジットの明確な法的性質は定義されていません。一方、ベーカーマッケンジーは京都議定書が発効した2000年代からカーボンクレジット取引に携わっており、権利移転におけるリスクや契約書の作成方法、交渉の知見などが蓄積されています。それらをオフィス間で共有し、お客様に最適なアドバイスができるのは、ベーカーマッケンジーならでは。それらの知見やネットワークを生かしながら、今後も多くの取引をサポートしていきたいと考えています」

「私たちは、長年にわたり蓄積した各国オフィスの知見を活かし、カーボンクレジット取引をサポートさせていただいております」(板橋氏)

ベーカーマッケンジーは2017年、法律事務所としては初めて国連のSDGsを推進する団体(World Business Council for Sustainable Development)に加盟。それ以降、世界45か国に拠点を構える広大なネットワークで、SDGsに関する最新情報をいち早くキャッチし、世界中のパートナーと共有している。

「コロナ禍が落ち着いてきた2022年11月、ベーカーマッケンジーの世界各オフィスから約700人のパートナーが集結する年次総会がシンガポールで開催されました。その際、最初に協議された重要事項がSDGsで、海外の情勢や法改正などの情報交換の機会にもなり、クライアントの今後の戦略や最適解に役立ちます」(江口氏)

日本はエネルギー輸出国になれる可能性もある

日本は多くのエネルギーを海外に頼っているが、豊富な再生可能エネルギー資源が眠っている国だと、江口氏はいう。

「資源がある場所の多くが自然公園内にあるため開発は進んでいませんが、地熱エネルギーの量は世界トップクラスです。さらに、北海道や東北地域の沖合はとても良い風が吹いています。ここに浮体式の洋上風力発電を整備することで、日本のエネルギー産業は大きな変貌を遂げるでしょう。毎年20兆円輸入しているエネルギー費の一部を洋上風力の開発に充てていければ、日本がエネルギー輸出国になる日もそう遠くないと、私は考えています」

日本のEEZ(排他的経済水域)と領海を合わせた海域面積は、世界第6位。洋上風力発電に必要な風況(風の強さ)も十分あり、国際エネルギー機関(IEA)は、現在の日本の消費電力量の9倍をまかなえるほどの豊かな発電ポテンシャル(可能性)があると試算している。

一方オルノルフソン氏は、日本企業がもつエネルギー転換の技術力に期待している。

「この数年間で、日本の技術力は大きく進化しました。私は最近、シンガポールで天然ガスを水素エネルギーに転換するプロジェクトに携わりましたが、日本はアジアにおけるカーボンニュートラル実現のカギを握っていると思います。特に自国の力だけでは十分なエネルギー転換を遂げることが難しい東南アジア諸国に対して、日本企業は大きな力となるでしょう。そして、そんな日本企業を私たちは全力でサポートし続けます」

「ベーカーマッケンジーの、次の50年に向けた取り組みとして、エネルギー転換は非常に重要なテーマです。私たちはお客様とともに、カーボンニュートラルの実現を目指していきます」(江口氏、板橋氏、オルノルフソン氏)