東京都の神津島では、島民やこの島とつながりを持つ人に、さまざまな生き方のヒントを発信する取り組みが行われている。それが「HAPPY TURN/神津島」だ。このプロジェクトの中心にいるのは、中村圭さんと飯島知代さん。中村さんはUターン、飯島さんはIターンという、いずれも“幸せなターン”を経て神津島で暮らしている。なぜ二人は、この取り組みを始めたのか。
故郷・神津島に感じた「ギャップ」が
プロジェクト立ち上げの契機に
神津島で生まれ育った中村さんは、多くの島民と同様、高校入学を機に島を出た。しかしその頃から「若いうちに島に戻ってこよう」と決めていたという。実際、彼は26歳で大手企業を退職し、ふたたび神津島で暮らし始めた。2015年のことだ。
以来、民宿の再建やゲストハウスの起業を行うかたわら、2018年から「HAPPY TURN/神津島」をスタートさせた。
「このプロジェクトは、いろいろな人の生きる選択肢が増えればと考えて行っている活動です。神津島で暮らす人に生き方のヒントを伝えたり、外で暮らす人にUターンやIターンでこの島に来るきっかけを作ったり。もっと広く言えば、人生の新しい目標へ踏み出すことにもつなげていく。人生のさまざまなターンを後押しする、あるいは、多様な価値観を醸成することができればと取り組んできました」
「HAPPY TURN/神津島」は、東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京が行う、社会に対して新たな価値観や創造的な活動を生み出すための拠点となる「アートポイント」をつくる事業「東京アートポイント計画」のひとつ(※)。中村さんが代表理事を務める一般社団法人シマクラス神津島が、都やアーツカウンシル東京と一緒に進めてきた。
※「東京アートポイント計画」のHPより
それにしても、なぜ中村さんはこのような取り組みを始めようと思ったのか。そこには島出身だからこそ感じる課題があった。
「本土にいた頃、大学の同級生や社会人の友達を島に連れてくると、みんな喜んでくれました。僕にとって『神津島出身』は大切な個性の一つになっていました。でもその一方で、島の現状を見ると人が少しずつ減り、宿も閉まっていくなど、課題が深刻になっている。そのギャップをどうにかしたいという思いはありましたね」
ギャップを解決するには、たとえば彼のようにこの島へ移住する人が増えたり、あるいは本土にいても、仕事やプライベートで神津島を訪れる人を増やすことが必要だ。そういう状況を作るためにも、まずはいろいろな生き方や価値観の選択肢があることをこのプロジェクトで伝えようと考えたのだった。
そんな「HAPPY TURN/神津島」に途中から加わったのが飯島さんだ。彼女は小学校の教員などを経て、2017年、友人が運営する海の家を手伝うために神津島へ訪れた。しばらくは夏の間のみ訪れていたが、2年目に「HAPPY TURN/神津島」の活動を知ったという。ちょうどその頃、中村さんからこのプロジェクトを手伝ってほしいと頼まれたそうだ。
「最初は圭くん(中村さん)にメンバーが足りなくなってしまったので、どうしても事務局をやってくれないかと頼まれたんです」
これ以降、飯島さんは中村さんとともにこのプロジェクトを進めてきた。そんな彼女は、この活動の意義をこう考えている。
「人生にはさまざまな選択肢がありますが、この活動は、そういったたくさんの選択肢をみんなが持てるようになったらいいな、 という思いでやっています。特に日本は、“レール”に乗ることが幸せだと思われやすいですよね。実際にはレールに乗るだけが幸せとは限りません。 島で暮らすと、なおさら閉じた価値観になりやすい。そんな中、この活動を通して多様な価値観に出会える場や仕組みを作りたいと思っています」
いろんな人や価値観に会える場所「くると 」
移住者の“入口”に
こうした考えのもと、「HAPPY TURN/神津島」ではいくつかの活動を行っている。代表的なのが、プロジェクト拠点「くると」の運営だ。空き店舗を改装して作ったこの場所は、現在、週3日開放している。
コンセプトは、誰でも来られる場所、人を限定しない場所。いわば「屋根のある公園」だと飯島さんは表現する。ここに来ると、遊べる。ここに来ると、出会える。ここに来ると、見つかる。そんな場所になればいいと名前をつけた。
「くるとでは、あえて“これをしてはいけない”というルールを設けていません。穴を掘ろうとする子どもがいても、すぐには止めないんです。もちろん限度はありますが(笑)子どもたちが枠を取り払って創造的に活動できる場所は少ないので、くるとがそういう空間になればいいなと」(飯島さん)
くるとの価値はそれだけではない。仮に移住者が島に来たとして、最初は馴染むのに苦労するかもしれない。そんなとき、この場所が新しく島に来た人の“入口”として機能すればと、二人は期待する。
「HAPPY TURN/神津島」では、島外のアーティストを招いた「アーティスト・プログラム in神津島」も開催している。これも多様な価値観と出会う場づくりのひとつだ。「アーティストを介して参加した人がいつもとは違った角度から神津島のことを見たり感じたり、いつも出会わない人と交流できるようなプログラムを心がけています 」と飯島さんは話す。
2023年1月には、ダンサー/パフォーマンスアーティストの大西健太郎さんが来島。冬の神津島に吹く季節風「にしんかぜ」をもとに、架空の存在「西ん竜風(にっしんたっち)」を題材にしたうたと踊りの創作ワークショップを開催した。
大西さんは 約1年前にも来島。このときは砂浜の漂流物や島で集めた素材を使った「くると盆栽」を参加者として制作したという。
そのほか、植物の染色による作品制作を行う美術家・山本愛子さんは、島の草木を使った染色のプログラムを開催。子どもも大人も芸術に触れるだけでなく、島の植物について詳しく知る機会にもなったという。中村さんが振り返る。
「神津島の植物を使って何かをするうちに、子どもたちは島を深掘りしていたと思います。逆に、島外にはどんな植物があるんだろうと興味が湧いたかもしれません。神津島の価値を感じながら、同時に島外のことも知る体験になったと思っています」
こういったイベントのほか、日々の活動や島民の暮らしや人生について綴ったインタビュー記事をホームページで発信している。いろいろな人の価値観を伝え、幸せなターンのきっかけを作っているのだ。
幸せなターンを後押しするため、解決したい「家の動き」
Uターンで故郷の神津島に戻った中村さん。Iターンで神津島に移住した飯島さん。二人が進めてきた「HAPPY TURN/神津島」は、今後どのような歩みを見せていくのだろうか。
そんな質問に対し、飯島さんは自身の思いを口にする。
「東京アートポイント計画として始まった『HAPPY TURN/神津島』ですが、共催終了後も引き続き、幸せなターンとは何か考えながら、いろいろな選択肢や人生の価値観に出会う場づくりをしていきたいです」
その中村さんは、「HAPPY TURN/神津島」を通じてこの島に移住したくなった人を支援するため、「宅地建物取引士(宅建)」の資格を取得した。
「神津島に移住したい人にとって、ネックになるのが住居です。移住希望者はいても、住居がなくてあきらめることが多い。とはいえ、島を歩けば空き家はたくさんありますし、くるとも元々は空き家でした。それなら手付かずになっている空き家を改装することで、課題解決につながるかもしれません」
中村さんは「住居不足の問題が解消すれば、島に入ってくる人も増えるのでは」という。「島は規模が小さい分、誰かが少し動くだけでも変化が起きやすい。同じ考えを持つ人とともに、家の問題を解決していくのが次の目標ですね」
さまざまな価値観と出会う機会をつくり、人々の幸せなターンを後押しする。そんな思いで取り組む二人の活動は、神津島の島民や、神津島に関わりを持つ人の人生を、きっと彩り豊かにしている。
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